家庭裁判所調査官が少年保護事件を題材として執筆した論文の執筆届の決裁に際し,家庭裁判所の職員において,当該論文の内容を修正させ,又はその公表を差し控えさせる注意義務があったということはできないとされた事例
判旨
家庭裁判所調査官が執筆した少年保護事件に関する論文の公表について、被上告人を同定し得る可能性が低く、かつ専門誌への掲載という公益目的が認められる場合には、プライバシー侵害および名誉毀損の不法行為は成立せず、所属機関の指導監督義務違反も認められない。
問題の所在(論点)
1. 家庭裁判所調査官による少年保護事件を題材とした論文の公表が、プライバシー侵害として不法行為を構成するか。 2. 裁判所職員が、当該論文の公表を制止すべき注意義務を負うか(国家賠償法1条1項の違法性)。
規範
プライバシー侵害の成否は、事実を公表されない法的利益と公表する理由を比較衡量して判断する。特に少年保護事件に関する情報については、少年法1条、22条2項、61条等の趣旨に鑑み、少年の健全育成や改善更生の妨げにならないよう配慮すべき高い秘匿性がある。判断に際しては、①情報の性質・内容、②本人の年齢・社会的地位、③公表の目的・意義、④情報の開示の必要性、⑤伝達範囲と被害の程度、⑥媒体の性質等の諸事情を総合考慮する。
重要事実
家庭裁判所調査官Aが、担当したアスペルガー症候群の少年(当時17歳)の症例を題材に論文を執筆し、精神医学の専門誌に掲載した。論文には少年の非行態様や生育歴等のプライバシー情報が含まれていたが、氏名等は伏せられ、時期も特定されていなかった。大阪家裁の職員は、Aからの執筆届を受理し内容を把握していたが、特段の制止は行わなかった。後に元少年が、プライバシー侵害等を理由に国賠請求を提起した。
あてはめ
1. 論文に含まれる情報は本件保護事件の調査で得られたもので秘匿性が極めて高いが、他方で本件公表は発達障害への理解を広めるという重要な公益目的があり、症例報告として生育歴等の記載は必要であった。また、氏名等の秘匿措置が講じられ、読者が限定的な専門誌での公表であったため、第三者が少年を同定し具体的被害が生じる可能性は相当低かった。したがって、公表されない利益が公表する理由に優越するとはいえず、違法性は否定される。 2. 本件公表が不法行為を構成しない以上、倫理違反等があるとはいえない。また、論文内容から少年が同定される可能性が低かった以上、家裁職員においてプライバシー侵害や改善更生への悪影響を予見し、公表を修正・中止させるべき指導監督義務があったとは認められない。
結論
本件公表は不法行為法上違法ではなく、家裁職員に指導監督上の注意義務違反も認められない。したがって、上告人(国)の損害賠償責任は否定される。
実務上の射程
判決文からは、一般的な学術目的の公表が常に適法とされるわけではなく、少年の改善更生への影響を最小限にするための適切な秘匿措置と、読者層の限定(専門誌等)が極めて重要な判断要素となっていることに注意が必要である。
事件番号: 令和5(受)1319 / 裁判年月日: 令和6年7月3日 / 結論: 棄却
1 優生保護法3条1項1号から3号まで、10条及び13条2項(3条1項1号、2号及び10条については、昭和23年9月11日から平成8年9月25日までの間、3条1項3号については、昭和23年9月11日から平成8年3月31日までの間、13条2項については、昭和27年5月27日から平成8年9月25日までの間において施行されて…