1 妄想性障害に罹患していた被告人が実行した殺人,殺人未遂等の事案につき,事理弁識能力及び行動制御能力が著しく低下していたとまでは認められないとする原判決が是認された事例 2 死刑の量刑が維持された事例(加古川8人殺傷事件)
刑法39条
判旨
責任能力の判断において、精神障害の有無等の専門家意見は尊重すべきだが、鑑定が犯行に特有な事情(被告人の性格や確執の経緯等)への考察を欠く場合は「採用し得ない合理的な事情」があるといえる。本件では妄想性障害の影響を認めつつも、犯行の合目的性や現実的動機に基づき、完全責任能力を肯定した原判断を維持した。
問題の所在(論点)
精神鑑定が心神耗弱を認める意見を述べている場合に、裁判所が被告人の性格や犯行の態様等の事実関係に基づき、鑑定の一部を排斥して完全責任能力を肯定することの是非。
規範
責任能力(刑法39条)は法律判断であり裁判所に委ねられるが、その前提となる生物学的要素や心理学的要素への影響に関する専門家の鑑定意見は、これを採用し得ない合理的な事情がない限り、十分に尊重しなければならない。もっとも、鑑定が被告人の性格傾向、被害者との長年の確執、犯行の合目的性等の個別事情を十分に考慮せず、結論の合理性を欠く場合には、裁判所はその一部を採用せず独自の判断を行うことができる。
重要事実
被告人は、長年「本家」から見下されている等の被害意識を抱き、隣人らとも駐車トラブル等で確執があった。被告人は妄想性障害(被害型)に罹患しており、「隣人が自分を追い出そうとしている」との妄想を抱いていたが、殺害を企図する等の差し迫った内容ではなかった。被告人は隣人との口論を機に、以前から用意していた包丁で隣人ら8名を殺傷し(7名死亡)、自宅に放火した。犯行は計画的かつ合目的で、記憶も鮮明であった。精神鑑定(五十嵐鑑定)は、妄想性障害により判断能力が著しく減退していた(心神耗弱)と結論づけたが、原審はこれを一部排斥し完全責任能力を認めた。
事件番号: 平成25(あ)1329 / 裁判年月日: 平成28年2月23日 / 結論: 棄却
【結論(判旨の要点)】死刑制度およびその執行方法は憲法31条、36条に違反しない。また、精神障害(妄想)が犯行の動機形成に介在していても、それが限定的であり、犯行自体が一貫性のある合目的的な行動である場合には、死刑の選択は許容される。 第1 事案の概要:被告人は精神障害による妄想(嫌がらせを受けている等)を抱き、世間へ…
あてはめ
五十嵐鑑定は「妄想性障害がなければ犯行はなかった」として心神耗弱を推認するが、以下の点で合理性を欠く。第一に、被告人は幼少期から侮蔑に激昂し刃物を持ち出す性格傾向にあり、本件殺意も現実の確執から生じたもので了解可能である。第二に、妄想の内容は「追い出される」という程度で殺害を強いるほど強烈ではなく、かつ地域の噂話という現実の基礎を有していた。第三に、犯行時の行動は、恨みの強い順に襲撃し逃走を阻むなど極めて合目的的・首尾一貫しており、爆発的興奮も認められない。したがって、妄想の影響は怨念を強化した限度にとどまり、判断能力を著しく減退させたとはいえない。
結論
被告人は本件当時、事理弁識能力及び行動制御能力を欠くか、あるいは著しく減退した状態にはなく、完全責任能力を有していたと認められる。
実務上の射程
専門家鑑定の尊重義務(最決昭58.9.13等)を前提としつつ、鑑定が「生物学的要素から直ちに責任能力を導く(不可知論)」傾向にある場合に、裁判所が「心理学的要素(動機の了解可能性や行動の制御可能性)」を重視して鑑定を修正・排斥する際の手法を示す。答案では、鑑定意見の論理的弱点(個別事実の軽視)を指摘する際の枠組みとして活用する。
事件番号: 平成28(あ)1508 / 裁判年月日: 令和元年7月11日 / 結論: 棄却
【結論(判旨の要点)】妄想が動機の形成過程に影響していたとしても、自らの価値観に基づき犯行を選択・実行し、その影響が限定的であるならば、完全責任能力を認めた上で、死刑判決を維持することは正当である。 第1 事案の概要:被告人は、約10年間にわたり近隣住民から嫌がらせを受けているとの妄想を抱き、報復として一晩のうちに近隣…
事件番号: 平成20(あ)1718 / 裁判年月日: 平成21年12月8日 / 結論: 棄却
1 裁判所は,特定の精神鑑定の意見の一部を採用した場合においても,責任能力の有無・程度について,当該意見の他の部分に拘束されることなく,被告人の犯行当時の病状,犯行前の生活状態,犯行の動機・態様等を総合して判定することができる。 2 精神医学者の精神鑑定における意見のうち被告人が心神喪失の状態にあったとする部分を前提資…
事件番号: 平成19(あ)80 / 裁判年月日: 平成22年4月27日 / 結論: 破棄差戻
殺人,現住建造物等放火の公訴事実について,間接事実を総合して被告人が犯人であるとした第1審判決及びその事実認定を是認した原判決は,認定された間接事実中に被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない(あるいは,少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれているとは認められないなど,間接事実に関する審…