一 憲法第二五條は、國家が國民一般に對し概括的に健康で文化的最低限度の生活を營み得るよう國政を運營すべき責務を負擔せしめたものであるけれども、この規定によつて、直接に個々の國民が、國家に對して、具體的、現實的にかかる權利を有するものでないことは既に當裁判所の判例とするところである。從つてかりに所論の如く供出米の割當量等に特殊の事情があつたとしても、同條により被告人の本件食糧管理法違反の所爲を正當化しその刑責を兔かれしめるものではない。 二 憲法第三七條第一項にいわゆる「公平な裁判所の裁判」というのは組織構成等において偏頗の惧のない裁判所の裁判という意味であつて、個々の裁判の具體的内容の當否には關係のないものである。 三 被告人に實刑を科し刑の執行を猶豫しないからといつて、憲法第十三條に保障する人權を侵害したものといえない。
一 供出割當が過重な場合の食糧管理法違反行爲と憲法第二五條 二 憲法第三七條第一項にいわゆる「公平な裁判所の裁判」の意義 三 刑の執行猶豫をしなかつたこと憲法第十三條
食糧管理法3條,食糧管理法32條,憲法25條,憲法37條,憲法13條,刑法25條
判旨
憲法25条は国家に対し国民の生活を保障すべき政治的・概括的責務を課したものであり、個々の国民に具体的・現実的な権利を直接付与したものではない。したがって、米の供出割当量等の特殊事情を理由に、憲法25条を根拠として食糧管理法違反の刑事責任を免れることはできない。
問題の所在(論点)
憲法25条に基づき、個々の国民が国家に対して具体的・現実的な権利を直接有すると解されるか。また、同条を根拠に食糧管理法違反という犯罪行為の刑責を免れることができるか。
規範
憲法25条は、国家が国民一般に対して概括的に健康で文化的な最低限度の生活を営み得るよう国政を運営すべき責務を負担させた規定である。しかし、同条によって直接に個々の国民が国家に対して具体的・現実的にかかる権利を有するものではない。
重要事実
被告人は食糧管理法違反の罪に問われたが、当時の食糧事情や供出米の割当量等に特殊な事情があったと主張した。被告人側は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を保障する憲法25条に基づき、当該行為が正当化されるべきであるとして上告した。
あてはめ
憲法25条の性格は国家の政治的責務を宣言したものに留まる。本件において、たとえ供出米の割当量等に特殊な事情があったとしても、同条は国民に具体的な請求権を付与するものではない。そのため、刑事罰の根拠となる法令に違反した行為を、憲法25条を直接の根拠として正当化し、その刑事責任を免れさせる余地はないといえる。
結論
憲法25条は具体的権利を付与するものではなく、被告人の行為は正当化されない。本件上告は棄却される。
実務上の射程
生存権のプログラム規定説的解釈を示す初期の代表的判例である。司法試験においては、生存権の法的性格(具体的権利性の有無)が問われる場面で、朝日訴訟や堀木訴訟と並んで引用すべき基礎的判例として位置づけられる。また、刑事被告人が憲法上の権利を抗弁として主張する際の限界を示す際にも有用である。
事件番号: 昭和23(れ)205 / 裁判年月日: 昭和23年9月29日 / 結論: 棄却
憲法第二五條第一項は、すべての國民が健康で文化的な最低限度の生活を營み得るよう國政を運營すべきことを國家の責務として宣言したものである。すなわち國民は、國民一般に對して概括的にかかる責務を負擔しこれを國政上の任務としたのであるけれども、個々の國民に對して具體的にかかる義務を有するものではない。されば、上告人が、右憲法の…