昭和四四年四月に出生した極小未熟児の診療が行なわれた当時は、未熟児の酸素療法にあたりその濃度さえ制限すれば未熟児網膜症発症の危険がないとの知見が一般的であり、早期発見治療を目的とする眼底検査の実施は、一流の診療機関においても期待できなかつたなど判示の事実関係のもとにおいては、担当医師において右の検査の必要性を認識せず、転医の指示を含む格別の措置をとらなかつたことに注意義務の違反はない。
昭和四四年四月に出生した極小未熟児につき担当医師が眼底検査の必要性を認識せず転医の指示等の措置をとらなかつたことに注意義務の違反がないとされた事例
民法709条,医師法23条
判旨
医療過誤における注意義務の基準は、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である。未熟児網膜症の治療法が確立されていなかった当時の状況下では、眼底検査の不実施や診療体制の不備に過失は認められない。
問題の所在(論点)
医療過誤における注意義務の具体的基準(民法415条、709条)。診療当時の学術的な「医学水準」と、実務上の「医療水準」のいずれを基準とすべきか。
規範
人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者は、業務の性質に照らし、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を負う。もっとも、その注意義務の基準となるべきものは、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である。
重要事実
昭和44年当時、未熟児網膜症(本症)は酸素濃度制限で防止可能との知見が一般的であった。早期発見のための眼底検査は特殊な技術と人的・物的整備が必要で、一流の診療機関でも期待できなかった。また、光凝固法等の治療法も追試段階にあり、眼科学界で有効な治療法として認識されていなかった。このような状況下で、D病院の小児科医Eは眼底検査を行わず、病院側も眼科との協同診療体制を構築していなかったため、本症を発症した上告人らが損害賠償を求めた。
あてはめ
本件当時の医療水準に照らせば、(1)眼底検査は一流機関でも実施が困難な特殊技術を要するものであり、一般の病院にその実施を期待することはできない。また、(2)治療法についても、当時は光凝固法等が確立されたものとして認識されていなかった。そうであれば、担当医師が眼底検査の必要性を認識せず転医指示等を行わなかったことや、病院が小児科と眼科の協同診療体制を整備しなかったことは、当時の臨床医学の実践における医療水準を逸脱したものとはいえない。したがって、期待される最善の注意義務を尽くさなかったとは認められない。
結論
被上告人(病院側)に注意義務違反はなく、債務不履行責任(および不法行為責任)は認められない。
実務上の射程
医療過誤における「医療水準」の基本的定義を示したリーディングケース。最高裁は「医学水準(学説上の到達点)」ではなく「臨床医学の実践(実務の普及度)」を基準とする。答案上は、まず「期待される最善の注意義務」を掲げた上で、具体的な時間的・場所的制約を含む「診療当時の臨床医学の実践における医療水準」へと具体化して論証に用いる。
事件番号: 昭和58(オ)621 / 裁判年月日: 昭和61年5月30日 / 結論: 破棄自判
昭和四五年一〇月出生した極小未熟児の診療が行われた同年一一月ころ当時、光凝固法は臨床医学の実践における医療水準としては未熟児網膜症の有効な治療方法として確立されておらず、担当の眼科医師も有効な治療方法と結びついた眼底検査の必要性を認識していなかつたなど判示の事実関係のもとにおいては、眼底検査につき同児の両親の要求を受け…