一 昭和四四年一二月出生した未熟児の観護療養が行われた昭和四五年初めにおいては副腎皮質ホルモン等の薬物療法が有効視されていたとしても、原審口頭弁論終結の昭和五三年六月当時においては右薬物療法は積極的な治療効果がないものと認められるなど、判示の事実関係のもとにおいては、眼科医師が右未熟児に対して採つた薬物投与についての診療上の過失は認められない。 二 昭和四四年一二月出生した未熟児の観護療養が行われた昭和四五年初めにおいては、光凝固法は、未熟児網膜症についての先駆的研究家の間で漸く実験的に試みられ始めたという状況であつて、光凝固治療を一般的に実施することができる状態ではなく、患児を光凝固治療の実施可能な医療施設へ転医させるにしても、転医の時期を的確に判断することを一般的に期待することは無理な状況であつたなど、判示の事実関係のもとにおいては、右未熟児の観護療養を担当した眼科医師には光凝固治療についての説明指導義務及び転医指示義務はない。
一 昭和四四年一二月出生した未熟児の観護療養を担当した眼科医師の副腎皮質ホルモン剤等の投与の措置について過失がないとされた事例 二 昭和四四年一二月出生した未熟児の観護療養を担当した眼科医師の光凝固治療に関する説明指導義務及び転医指示義務がないとされた事例
民法415条,民法709条,医師法23条
判旨
医師に要求される注意義務の基準は、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である。最新の学説や特殊な研究段階の治療法に基づき義務を課すのではなく、当時の一般的な医療施設における実施可能性を考慮して過失の有無を判断すべきである。
問題の所在(論点)
不法行為(民法709条)または債務不履行(民法415条)に基づく損害賠償請求において、医師の過失(注意義務違反)を判断するための基準となる「医療水準」の範囲をいかに解すべきか。特に、最先端の研究段階にある治療法を実施・教示すべき義務が臨床医に認められるかが問題となる。
規範
医師の注意義務の基準となるべきものは、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である。人の生命及び健康を管理する業務の性質上、危険防止のため実験上必要とされる最善の注意を払うべきであるが、その具体的義務の内容は、当時の平均的な臨床医が基準とされるべきであり、未だ研究段階にある治療法や高度に特殊な技術を当然に要求するものではない。
重要事実
昭和44年に出生した未熟児Aは、未熟児網膜症を発症した。担当のE医師は、副腎皮質ホルモン剤の投与時期を見極めるために眼底検査を行っていたが、結果としてAは失明した。当時、光凝固法は先駆的研究者の間で実験的に試みられ始めた段階であり、大学病院等でも一般的に実施可能な状態ではなかった。また、未熟児の眼底検査は特殊な訓練を要する作業であり、E医師の技術は平均的眼科医よりは高いものの、専門家には及ばない水準であった。Aの両親は、E医師に光凝固法についての説明指導義務や転医指示義務があったとして、病院側の債務不履行および不法行為責任を追及した。
あてはめ
診療当時の昭和45年初めにおいて、光凝固法は実験的段階にすぎず、一般的な総合病院で実施できる状態ではなかった。また、転医時期を的確に判断することも一般の医師には困難な状況であった。E医師の眼底検査技術は平均的以上であったが、専門的研究者の水準を要求するのは酷である。さらに、Aの病状は当時の専門家にも未知の複雑な経過を辿っており、予見可能性も限定的であった。したがって、当時の「臨床医学の実践における医療水準」に照らせば、光凝固法に関する説明や、その実施を目的とした転医指示を行う義務があったとはいえない。
結論
被告病院(E医師)に過失は認められず、不法行為責任および債務不履行責任は否定される。
実務上の射程
本判決は、医療過失における注意義務の基準を「診療当時の臨床医学の実践における医療水準」と定義したリーディングケースである。答案上では、過失の有無を検討する際の冒頭で必ず引用すべき規範である。注意点として、後の判例(最判平7.6.9等)では、医療機関の性格(大学病院か診療所か等)によって要求される水準が相対化されるが、本判決の「臨床医学の実践」という基本的枠組みは現在も維持されている。
事件番号: 昭和57(オ)1112 / 裁判年月日: 昭和60年3月26日 / 結論: 棄却
昭和五一年二月に在胎三四週体重一二〇〇グラムで出生した極小未熟児が急激に進行する未熟児網膜症により失明した場合において、当該病院には当時未熟児網膜症の治療方法として一般的に認められるに至つていた光凝固等の手術のための医療機械がなく、また、同児の眼底検査を担当した眼科医が、未熟児網膜症についての診断治療の経験に乏しく、生…