昭和五一年二月に在胎三四週体重一二〇〇グラムで出生した極小未熟児が急激に進行する未熟児網膜症により失明した場合において、当該病院には当時未熟児網膜症の治療方法として一般的に認められるに至つていた光凝固等の手術のための医療機械がなく、また、同児の眼底検査を担当した眼科医が、未熟児網膜症についての診断治療の経験に乏しく、生後三二日目にした一回目の検査とその一週間後にした二回目の検査により、眼底の状態に著しく高度の症状の進行を認めて異常を感じたにもかかわらず、直ちに同児に対し適切な他の専門医による診断治療を受けさせる措置をとらなかつたため、同児が適期に光凝固等の手術を受ける機会を逸し失明するに至つた等の判示の事実関係のあるときは、眼科医には右失明につき過失があるものというべきである。
昭和五一年二月出生の極小未熟児が急激に進行する未熟児網膜症により失明した事故につき担当の眼科医が同児に対し他の専門医による診断治療を受けさせる措置をとらなかつたことに過失があるとされた事例
民法415条,民法709条,民法715条1項
判旨
医師は、未熟児網膜症が急激に進行した事実を認識しながら、自身の経験不足により適切な頻回検査や専門医による早期診察の手配を怠った場合、診療当時の医療水準に照らして注意義務に違反し、失明との間に相当因果関係が認められる。
問題の所在(論点)
未熟児網膜症(II型)の急激な進行の徴候を認めながら、専門医への即時転送や頻回検査を行わなかった医師の行為に、不法行為(または債務不履行)上の注意義務違反が認められるか。また、その過失と失明との間に相当因果関係が認められるか。
規範
医師が負うべき注意義務は、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準を基準に決せられる。特定の疾病について学会等で公表された診断・治療基準が存在し、当該医師がそれを熟知していた場合、その基準に即した適切な措置を講じ、発生し得る危険を未然に防止すべき義務がある。自身の経験や設備の不足により適切な処置が困難な場合には、遅滞なく頻回検査を実施し、または専門医の診察を仰ぐなどの適切な対応を速やかに行うべきである。
重要事実
生下時体重1200グラムの極小未熟児である原告は、被告病院で酸素投与を受け、未熟児網膜症の発症が予想されていた。研修医Fは、1回目の眼底検査からわずか1週間後の2回目検査で、血管の怒張・蛇行の増強や大きな出血という急激な進行を認めた。当時、未熟児網膜症には進行が速く予後不良の「II型」が存在し、早期の光凝固等の治療が必要であるとする学術報告(医療水準)があり、Fもそれを熟知していた。しかし、Fは自身の経験不足からII型の疑いを持たず、1週間後の経過観察を選択したため、適切な手術時期を逸し、原告は失明するに至った。
あてはめ
F医師は2回目検査時に「異常なもの」を感じるほどの急激な症状の悪化を確認しており、当時の医療水準(II型の知見)に照らせば、直ちにII型を疑い、頻回検査を実施すべきであった。また、F自身が経験不足であった以上、直ちに指導医や他院の専門医の診察を仰ぐべきであったといえる。それにもかかわらず、1週間の放置を選択したことは、医療水準が求める適切かつ迅速な対策を怠ったものであり、注意義務違反がある。2回目検査時点では光凝固等により失明を免れる可能性があったと認められるため、上記過失と失明との間の相当因果関係も肯定される。
結論
F医師には注意義務違反の過失があり、原告の失明との間に相当因果関係も認められるため、被告病院側は損害賠償責任を負う。
実務上の射程
医療過誤における注意義務の基準を「診療当時の医療水準」に求める規範を示す事例。医師が自身の能力を超える事態を認識した場合の「専門医への受診(転医)義務」を基礎づける際や、確立された治療ガイドラインがある場合の過失認定の論述に活用できる。
事件番号: 昭和55(オ)948 / 裁判年月日: 昭和57年7月20日 / 結論: 棄却
昭和四四年四月に出生した極小未熟児の診療が行なわれた当時は、未熟児の酸素療法にあたりその濃度さえ制限すれば未熟児網膜症発症の危険がないとの知見が一般的であり、早期発見治療を目的とする眼底検査の実施は、一流の診療機関においても期待できなかつたなど判示の事実関係のもとにおいては、担当医師において右の検査の必要性を認識せず、…