昭和四六年二月に出生した極小未熟児の保育管理が行われた当時、光凝固法は臨床医学の実践における医療水準としては未熟児網膜症の有効な治療法として確立されていなかつたのであるから、右保育管理を担当した産婦人科医において、治療法として光凝固法があり、熟達の眼科医が適期に実施すればその進行を阻止する効力を有するが、そのためには可及的早期に眼底検査をして本症を発見する必要があること等の事実を知つていても、担当医が本症に罹患した未熟児を扱つた経験がないなど判示の事情の下においては、同医師に光凝固法を実施することを前提とした眼底検査を依頼する義務はない。
昭和四六年二月に出生した極小未熟児の保育管理を担当した産婦人科医に光凝固法を実施することを前提とした眼底検査を依頼する義務がないとされた事例
民法415条,民法709条
判旨
医師の注意義務の基準は、原則として診療当時のいわゆる「臨床医学の実践における医療水準」によるべきである。特定の治療法が当時の臨床医学において有効な治療法として確立されていない場合、医師が個人的に抽象的な知識を有していても、直ちにその実施や前提となる検査を行うべき法的義務を負うものではない。
問題の所在(論点)
不法行為(民法709条)または債務不履行に基づく損害賠償責任において、医師の注意義務(過失)を判定する基準となる「医療水準」をいかに解すべきか。特に、医師が個人的に有していた先進的な知見が、法的義務の範囲を拡大させるかが問題となる。
規範
医師が負うべき注意義務の基準は、一般的に診療当時の「臨床医学の実践における医療水準」である。また、人の生命・健康を管理する業務の性質上、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるが、それは当時の医療水準を超えて義務付けられるものではない。
重要事実
昭和46年当時、極小未熟児であった被上告人B1は、本件病院の保育器で酸素投与を受けたが、退院前の眼底検査が遅れ、未熟児網膜症により失明した。担当のE医師は、本症の予防や光凝固法の有効性、早期検査の必要性について文献等による抽象的な知識を有していた。しかし、当時、光凝固法は一部の研究報告がある段階で、一般的な医療水準として確立しておらず、定期的な眼底検査も全国的に定着していなかった。
あてはめ
被上告人が出生した昭和46年当時、光凝固法は臨床医学の実践における医療水準として確立されていなかった。E医師は文献等により光凝固法等の知識を抽象的に有してはいたが、医師免許取得後3年余りの産婦人科医であり、本症の臨床経験もなかった。このような状況下では、同医師の個人的な知見を考慮しても、確立されていない治療法(光凝固法)を前提とした早期の眼底検査を行うべき法的義務があったとはいえない。
結論
担当医師に注意義務違反(過失)は認められず、病院側の損害賠償責任は否定される。
実務上の射程
「医療水準」を過失認定の基準として明示した重要判例である。期待される水準は「学問としての医学水準」ではなく「臨床医学の実践における水準」である。ただし、後の判例(姫路日赤事件等)では、医療機関の性格(大学病院か個人医院か等)によって期待される水準が相対化される点に留意が必要である。答案では、当時の標準的な医療慣行を確定した上で、本件の特殊事情をあてはめる際の準拠枠組みとして活用する。
事件番号: 昭和57(オ)1127 / 裁判年月日: 昭和63年1月19日 / 結論: 棄却
未熟児網膜症に対する治療法として光凝固法を実施することは、昭和四七年当時においては、臨床小児科医及び臨床眼科医にとつていまだいわゆる臨床医学の実践における医療水準になつていたとはいえない。 (補足意見がある。)