一 新規の治療法の存在を前提にして検査・診断・治療等に当たることが診療契約に基づき医療機関に要求される医療水準であるかどうかを決するについては、当該医療機関の性格、その所在する地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮すべきであり、右治療法に関する知見が当該医療機関と類似の特性を備えた医療機関に相当程度普及しており、当該医療機関において右知見を有することを期待することが相当と認められる場合には、特段の事情がない限り、右知見は当該医療機関にとっての医療水準であるというべきである。 二 昭和四九年一二月に出生した未熟児が未熟児網膜症にり患した場合につき、その診療に当たった甲病院においては、昭和四八年一〇月ころから、光凝固法の存在を知っていた小児科医が中心になって、未熟児網膜症の発見と治療を意識して小児科と眼科とが連携する体制をとり、小児科医が患児の全身状態から眼科検診に耐え得ると判断した時期に眼科医に依頼して眼底検査を行い、その結果未熟児網膜症の発生が疑われる場合には、光凝固法を実施することのできる乙病院に転医をさせることにしていたなど判示の事実関係の下において、甲病院の医療機関としての性格、右未熟児が診療を受けた当時の甲病院の所在する県及びその周辺の各種医療機関における光凝固法に関する知見の普及の程度等の諸般の事情について十分に検討することなく、光凝固法の治療基準について一応の統一的な指針が得られたのが厚生省研究班の報告が医学雑誌に掲載された昭和五〇年八月以降であるということのみから、甲病院に当時の医療水準を前提とした注意義務違反があるとはいえないとした原審の判断には、診療契約に基づき医療機関に要求される医療水準についての解釈適用を誤った違法がある。
一 診療契約に基づき医療機関に要求される医療水準 二 昭和四九年一二月に出生した未熟児が未熟児網膜症にり患した場合につきその診療に当たった医療機関に当時の医療水準を前提とした注意義務違反があるとはいえないとした原審の判断に違法があるとされた事例
民法415条,民法709条
判旨
診療契約上の注意義務の基準となる医療水準は、当該医療機関の性格や所在地域の特性等の諸般の事情を考慮して決すべきであり、一律に解するのは相当ではない。新規の治療法が当該機関と同等の特性を持つ機関に普及している場合、その知見や技術に基づき適切な治療や転医措置を講ずべき義務がある。
問題の所在(論点)
診療契約上の債務不履行(注意義務違反)の判断基準となる「医療水準」は、学会の統一的基準の公表や一般の普及度により一律に決まるのか、あるいは当該医療機関の個別的事情(性格・能力等)に応じて相対的に決まるのか。
規範
医療水準は、診療当時の臨床医学の実践におけるものであるが、一律に決まるものではない。ある新規治療法が普及する過程において、当該医療機関の性格(大学病院、総合病院、個人医院等)、所在地域の医療環境、医師の専門分野等の諸般の事情を考慮すべきである。具体的には、当該機関と類似の特性を持つ機関にその知見が相当程度普及し、知見を有することを期待するのが相当な場合には、特段の事情がない限り、それが当該機関にとっての医療水準となる。技術・設備を欠く場合でも、これらを有する他院へ転医させる等の措置を講ずべき義務を負う。
重要事実
昭和49年、未熟児として出生したX1は、被上告人が設営するD病院(新生児センター設置)に入院した。担当医Fは、未熟児網膜症の予防として酸素投与管理を行ったが、眼底検査は入院中1回のみで、退院後にX1は網膜症により視力障害(0.06)を負った。当時、光凝固法は先駆的研究機関で有効性が報告されつつあり、D病院でもF医師らがその存在を認識し、他院への転医体制も整えていたが、統一的な診断基準(厚生省研究班報告)の公表は昭和50年であった。原審は、公表前の昭和49年当時は医療水準として確立していないとして、義務違反を否定した。
あてはめ
D病院は「新生児センター」を擁し、他院からの転医も受け入れる高度な専門性を有する医療機関であった。また、担当医らも光凝固法の有効性を認識し、眼底検査の結果次第で専門病院へ転医させる体制を自ら構築していた事実がある。このような専門的性格や内部体制に照らせば、厚生省の統一基準公表前であっても、光凝固法に関する知見や適切な検査・転医措置を講ずることが、D病院に要求される具体的な医療水準であった可能性がある。原審が、統一基準の公表時期のみをもって一律に義務違反を否定したのは、医療水準の解釈を誤り、個別的事情の検討を怠ったものといえる。
結論
被上告人の注意義務違反の有無について、D病院の性格や当時の地域的普及度を詳細に検討すべきであるとして、原判決を破棄し差し戻した。
実務上の射程
医療過誤訴訟において「平均的な医師の義務」と「高度な専門機関の義務」を分ける際のリーディングケースである。答案では、被告病院が「大学病院」や「地域基幹病院」である場合に本判例を引用し、当該病院の属性から期待される高い医療水準を具体的に摘示すべきである。
事件番号: 昭和57(オ)1112 / 裁判年月日: 昭和60年3月26日 / 結論: 棄却
昭和五一年二月に在胎三四週体重一二〇〇グラムで出生した極小未熟児が急激に進行する未熟児網膜症により失明した場合において、当該病院には当時未熟児網膜症の治療方法として一般的に認められるに至つていた光凝固等の手術のための医療機械がなく、また、同児の眼底検査を担当した眼科医が、未熟児網膜症についての診断治療の経験に乏しく、生…