判旨
商人が売掛代金債権を有しながら、別途負っている借入金債務について相殺権を行使せずに弁済したとしても、その事実認定が直ちに経験則に反するとはいえない。
問題の所在(論点)
売掛債権を有する者が、相手方からの借入金返済請求に対し、相殺を行わずに弁済したという事実を認定することが、経験則に反するか。また、文書(売掛帳・送金簿)の成立の真正を証言に基づき認定した原審の判断に違法があるか。
規範
事実認定における経験則違反の有無は、当該具体的状況下において、通常の人間であれば当然に採るであろう合理的な行動から著しく逸脱しているか否かによって判断される。相殺権という形成権を行使するか否かは当事者の私的自治に委ねられており、債権を保持したまま債務を履行することも、直ちに不合理な行動とは断定できない。
重要事実
上告人(商人と推認される)は、被上告会社に対して商品売掛代金債権を有していた。一方で、上告人は被上告会社から借入をしており、その返済を求められた際、自らの売掛代金債権による相殺を主張することなく、金銭を支払って借受金を弁済した。後の訴訟において、このような行動は不自然であり、売掛債権の存在を否定する根拠(または経験則に反する事実認定)であると主張された。
あてはめ
証拠関係について、証人DおよびEの証言により、甲各号証が被上告会社備付の売掛帳や送金簿であることが裏付けられている。証言の一部に変更があっても、帳簿の性質そのものを疑わせるものではないため、成立の真正を認めた判断は適法である。次に、相殺権の不行使について、商人が自らの債権を温存したまま債務を履行することは、取引上の戦略や資金繰り等の事情により起こり得る。したがって、相殺せずに弁済したという事実認定が、直ちに社会通念上の経験則に反するとはいえない。
結論
原判決に経験則違反等の違法はなく、上告を棄却する。
実務上の射程
自由心証主義(民訴法247条)における事実認定の合理性を争う際の限界を示す。当事者が合理的な選択肢(相殺)を採らなかったことのみを理由に、直ちに事実認定の違法(経験則違反)を導くことは困難であることを示唆している。実務上は、相殺しなかったことに特段の事情(支払猶予の要請など)があることを補強し、認定の合理性を支える必要がある。
事件番号: 昭和33(オ)1025 / 裁判年月日: 昭和36年5月23日 / 結論: 棄却
【結論(判旨の要点)】裁判所が証拠の信憑性を判断することは自由心証主義に基づく裁量権の範囲内であり、当事者が自ら尽くすべき立証を怠った場合に裁判所が釈明権を行使しなかったとしても、直ちに違法とはならない。 第1 事案の概要:上告人は、原審において提出した証拠(乙第一号証)が採用されず、また裁判所が釈明権を行使して立証の…