拘置所に勾留中の者が脳こうそくを発症し重大な後遺症が残った場合について,第1回のCT撮影が行われて脳こうそくと判断された時点では血栓溶解療法の適応がなかったこと,それより前の時点では適応があった可能性があるが,その適応があった間に,同人を外部の医療機関に転送して,血栓溶解療法を開始することが可能であったとは認め難いこと,拘置所において,同人の症状に対応した治療が行われており,そのほかに,同人を速やかに外部の医療機関に転送したとしても,その後遺症の程度が軽減されたというべき事情は認められないことなど判示の事情の下においては,同人が,速やかに外部の医療機関へ転送され,転送先の医療機関において医療行為を受けていたならば,重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存在が証明されたとはいえず,拘置所の職員である医師の転送義務違反を理由とする国家賠償責任は認められない。 (補足意見及び反対意見がある。)
拘置所に勾留中の者が脳こうそくを発症し重大な後遺症が残った場合について速やかに外部の医療機関へ転送されていたならば重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存在が証明されたとはいえないとして国家賠償責任が認められなかった事例
国家賠償法1条1項,民法709条
判旨
拘置所等の医師が転送義務を怠った場合でも、適切な転送・医療行為によって重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性が証明されない限り、国家賠償責任は認められない。
問題の所在(論点)
医師が適切な医療機関への転送義務を怠った場合において、後遺症との間の因果関係が証明されないときでも、後遺症が残らなかった「相当程度の可能性」の侵害を理由とする損害賠償責任が認められるか。また、その可能性の証明がない場合に「適切な医療を受ける利益」自体の侵害を認められるか。
規範
勾留されている患者の診療に当たった医師が、過失により適時に適切な医療機関へ転送すべき義務を怠った場合において、国が国家賠償法1条1項に基づく責任を負うためには、適時に転送され適切な医療行為を受けていたならば、患者に重大な後遺症が残らなかった「相当程度の可能性」が存在したことの証明を要する。
重要事実
上告人は東京拘置所に勾留中、脳梗塞を発症した。拘置所の当直医らは診察やCT撮影を行い脳梗塞と判断し、抗脳浮腫剤の投与等の治療を行ったが、外部の専門医療機関への転送は発症の翌日となった。上告人は転送先の病院で緊急手術を受けたが、重大な後遺症が残った。上告人は、速やかに外部医療機関に転送すべき義務を怠ったとして国賠請求を提起した。なお、事実認定によれば、直ちに転送手続を開始しても血栓溶解療法の適応時間に間に合ったとは認め難く、早期転送によって後遺症が軽減されたという事情も認められなかった。
あてはめ
本件では、第1回CT撮影時点で既に血栓溶解療法の適応外であった。それ以前の段階で転送手続を開始したとしても、受入れ先の確保や搬送時間を考慮すれば、適応時間内に治療を開始できたとは認め難い。また、専門医の意見によっても、早期転送が後遺症の程度に大きな差をもたらしたとはいえず、拘置所での措置も当時の標準的な手順に合致していた。したがって、上告人に重大な後遺症が残らなかった「相当程度の可能性」の存在は証明されていない。さらに、診療内容が「生命の尊厳を脅かすような粗雑診療」ともいえないため、期待権的な利益の侵害も認められない。
結論
上告人に重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存在が証明されたとはいえないため、国賠法1条1項に基づく請求は棄却される。
実務上の射程
医療過誤における「相当程度の可能性」の法理(最判平12.9.22等)を、転送義務違反の事案にも適用することを明示した。また、可能性の証明がない場合に「適切な医療を受ける機会(利益)」自体の侵害を認める余地について、法廷意見は消極的であるが、補足意見では「著しく不適切不十分な場合」に限るべきとの慎重な姿勢を示しており、実務上の立証ハードルを維持した判例といえる。
事件番号: 平成18(受)1547 / 裁判年月日: 平成19年4月3日 / 結論: 破棄差戻
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