1 開業医が,その下で通院治療中の患者について,初診から5日目になっても投薬による症状の改善がなく,午前中の点滴をした後も前日の夜からのおう吐の症状が全く治まらず,午後の再度の点滴中に軽度の意識障害等を疑わせる言動があり,これに不安を覚えた母親が診察を求めたことなどから,その病名は特定できないまでも,自らの開設する診療所では検査及び治療の面で適切に対処することができない何らかの重大で緊急性のある病気にかかっている可能性が高いことを認識することができたなど判示の事情の下では,当該開業医には,上記診察を求められた時点で,直ちに当該患者を診断した上で,高度な医療を施すことのできる適切な医療機関へ転送し,適切な医療を受けさせる義務がある。 2 医師に患者を適時に適切な医療機関へ転送すべき義務を怠った過失がある場合において,上記転送が行われ,同医療機関において適切な検査,治療等の医療行為を受けていたならば,患者に重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存在が証明されるときは,医師は,患者が上記可能性を侵害されたことによって被った損害を賠償すべき不法行為責任を負う。
1 開業医に患者を高度な医療を施すことのできる適切な医療機関へ転送すべき義務があるとされた事例 2 医師に患者を適時に適切な医療機関へ転送すべき義務を怠った過失がある場合において上記転送が行われていたならば患者に重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存在が証明されるときの医師の不法行為責任の有無
民法709条
判旨
開業医において適切な対処が困難な重大かつ緊急性の高い疾患が疑われる場合、医師は高度な検査・治療が可能な医療機関へ転送すべき義務を負う。また、この転送義務違反と後遺障害の間に因果関係が立証されない場合でも、適切な転送があれば重大な後遺症が残らなかった「相当程度の可能性」が証明されれば、その侵害を理由とする損害賠償責任を負う。
問題の所在(論点)
1. 本件診療の経過において、被上告人に総合医療機関への転送義務違反(過失)が認められるか。 2. 転送と後遺症回避の因果関係が不明な場合、どのような要件で損害賠償責任を負うか。
規範
1. 転送義務:診療の経過から自らの診断・治療が適切でないことを認識し得た際、自院で適切に対処できない重大で緊急性のある疾患の可能性を認識し得たときは、直ちに適切な医療機関へ転送し、治療を受けさせる義務を負う。 2. 相当程度の可能性:医師の過失(転送義務違反等)と結果との間に法的な因果関係が証明されない場合であっても、適切な医療行為が行われていたならば、患者に重大な後遺症が残らなかった「相当程度の可能性」の存在が証明されるときは、医師はその可能性の侵害を理由とする不法行為責任を負う。
重要事実
小学生の上告人は発熱や激しい嘔吐を繰り返し、個人医院の被上告人を再受診した。被上告人は点滴による輸液を行ったが症状は改善せず、点滴中、上告人には軽度の意識障害を疑わせる言動(容器の数え間違い、強い口調での訴え等)があった。母親は不安から診察を求めたが、被上告人は外来診療を優先してすぐには診察せず、点滴終了後にようやく紹介状を作成した。翌日、上告人は総合病院に救急搬送されたが、急性脳症により重度の脳障害(身体障害1級)という後遺症が残った。
あてはめ
1. 転送義務違反:初診から5日目、点滴を4時間実施しても嘔吐が全く改善しない現状から、自らの診断・治療が適切でないと認識可能であった。さらに点滴中の意識障害を疑わせる言動や母親の不安の訴えがあった時点で、急性脳症等の重大な疾患を疑い、直ちに高度な医療機関へ転送すべきであったといえる。 2. 相当程度の可能性:急性脳症の完全回復率が約22%とする統計は、逆に言えば約5人に1人は回復することを示しており、適切な転送・治療があれば後遺症が残らなかった可能性を否定するものではない。転送時点の具体的症状に基づき、後遺症が残らなかった「相当程度の可能性」の有無を検討すべきである。
結論
被上告人には、適切な医療機関への転送義務を怠った過失が認められる。また、適時に転送されていれば重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性が認められる場合には、被上告人は不法行為責任を負う。
実務上の射程
医療過失と結果の因果関係の立証が困難な事案(生存可能性や後遺症回避可能性の侵害)における救済法理を確立した重要判例。答案では、まず因果関係を検討し、それが認められない場合の「予備的」な主張として本論理を展開する。統計数値が低くても(例:20%程度)、直ちに可能性を否定せず、個別具体的な事情から「相当程度の可能性」の有無を判断する点に注意が必要である。
事件番号: 平成18(受)1547 / 裁判年月日: 平成19年4月3日 / 結論: 破棄差戻
精神科病院に入院中の患者が消化管出血による吐血,嘔吐の際に吐物を誤嚥して窒息死した場合において,当該患者が,上記吐血,嘔吐の約1時間20分前の時点で,発熱,脈微弱,酸素飽和度の低下,唇色不良といった呼吸不全の症状を呈していたとしても,(1)上記の時点で,当該患者に頻脈及び急激な血圧低下は見られず,酸素吸入等が行われた後…