精神科病院に入院中の患者が消化管出血による吐血,嘔吐の際に吐物を誤嚥して窒息死した場合において,当該患者が,上記吐血,嘔吐の約1時間20分前の時点で,発熱,脈微弱,酸素飽和度の低下,唇色不良といった呼吸不全の症状を呈していたとしても,(1)上記の時点で,当該患者に頻脈及び急激な血圧低下は見られず,酸素吸入等が行われた後は当該患者に口唇及び爪のチアノーゼや四肢冷感はなく,体動も見られたこと,(2)上記の時点で,当該患者に循環血液量減少性ショックの原因になるような多量の消化管出血を疑わせる症状があったとはうかがわれないこと,(3)病理解剖の結果に照らせば当該患者が感染性ショックに陥っていたとも考え難いことなど判示の事実関係の下では,当該患者の意識レベルを含む全身状態等について確定することなく,上記の時点で当該患者がショックに陥り自ら気道を確保することができない状態にあったとして,このことを前提に,担当医に転送義務又は気道確保義務に違反した過失があるとした原審の判断には,経験則に反する違法がある。
精神科病院に入院中の患者が消化管出血による吐血等の際に吐物を誤嚥して窒息死した場合において担当医に転送義務違反等の過失があるとした原審の判断に違法があるとされた事例
民法415条,民訴法247条
判旨
精神科病院の入院患者が消化管出血に伴う誤嚥により死亡した場合において、転送義務や気道確保義務の違反を肯定するには、当時の患者の意識レベルや全身状態等に照らし、自ら気道を確保することが困難な状態にあったか否かを慎重に審理すべきである。
問題の所在(論点)
消化管出血の徴候がある患者に対し、医師が救急医療の可能な病院へ転送すべき義務(転送義務)や、吐物誤嚥を防ぐための措置を講ずべき義務(気道確保義務)を負うための前提要件。
規範
医師の転送義務および気道確保義務の成否は、当時の医学的知見に照らし、患者の具体的な症状(意識レベル、血圧、脈拍、酸素飽和度等)から、重篤な状態への陥落や自力の気道確保が困難となる事態を予見し、かつ回避することが可能であったかという観点から判断される。
重要事実
統合失調症で精神科病院に入院中の患者Bが、ある日の午前5時に少量の吐血をし、午前10時30分に医師が消化管出血を認識した。午後3時30分、Bは発熱、脈微弱、酸素飽和度低下を呈したが、心拍数は頻脈ではなく、収縮期血圧も一定程度維持されていた。医師は酸素吸入等の措置を執ったが、午後4時50分にBが多量の吐血をして誤嚥し、窒息死した。原審は午後3時30分の時点で転送義務等を認めたが、上告審は詳細な全身状態の検討が不十分であるとして差し戻した。
あてはめ
午後3時30分の時点でBは呼吸不全の症状を呈していたが、収縮期血圧の急激な低下はなく、循環血液量減少性ショックを疑わせる多量の出血や激しい腹痛等の症状もうかがわれない。また、午後4時30分時点でもチアノーゼや四肢冷感はなく体動もあったことから、直ちに「自ら気道を確保できないショック状態」に陥っていたと断定することは困難である。したがって、意識レベルを含む全身状態を詳細に審理せずに転送義務等の違反を認めることは、経験則に反する。
結論
Bが午後3時30分の時点で自ら気道を確保することが困難な状態にあったか等について審理が尽くされていないため、転送義務等の過失を認めた原判決を破棄し、差し戻す。
実務上の射程
医療過失における転送義務・気道確保義務の判断において、単なる症状の悪化だけでなく、具体的な生理学的指標(血圧・心拍数・意識状態等)に基づき、当該義務を課す前提となる「危険な状態」が形成されていたかを厳格に検討すべきとする指針。実務上は、カルテ記載のバイタルデータに基づく予見可能性の有無が鍵となる。
事件番号: 平成14(受)1257 / 裁判年月日: 平成15年11月11日 / 結論: 破棄差戻
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