血液学者で加熱血液製剤の治験統括医であった甲が血液製剤市場の最大手で加熱血液製剤の開発が遅れていた製薬会社に合わせて加熱血液製剤の治験を遅らせ,その結果,我が国における加熱血液製剤の製造承認が米国より2年4か月遅れた事実,治験の時期に甲が製薬会社各社から資金提供を受けていた事実等が,乙の執筆した雑誌記事等において摘示された場合につき,甲が新聞社のインタビュー等に対し,開発が遅れていた上記製薬会社に合わせて加熱血液製剤の治験を遅らせたことを認める旨の発言をしていたこと,甲の上記発言内容を裏付ける事実が存在したこと,甲が講演において自己が設立の準備をしている血友病治療にかかわる財団法人への寄付を募っている旨の発言をしており,同財団法人への寄付を製薬会社各社に要求しているとのうわさがあるとの指摘に対してもその事実を否定しなかったことなど判示の事実関係の下においては,乙が上記記事等において摘示した事実を真実であると信じたことには相当の理由があり,名誉毀損による不法行為の成立は否定される。
我が国における加熱血液製剤の製造承認等に関する雑誌記者等の執筆者がその記事等に摘示されている事実を真実であると信じたことには相当の理由があるとして名誉毀損による不法行為の成立が否定された事例
民法709条,刑法230条の2第1項
判旨
名誉毀損における事実摘示および意見ないし論評の表明について、重要な部分を真実と信ずるに足りる相当な理由がある場合には、故意または過失が否定され、不法行為は成立しない。本件では、ジャーナリストによる入念な取材過程や被害者自身の過去の発言に照らし、事実を真実と信ずる相当な理由が認められた。
問題の所在(論点)
摘示された事実(治験の調整や寄付金の収受等)およびそれに基づく意見(「欲にほかならない」等の論評)について、真実相当性が認められ、不法行為責任が否定されるか。
規範
1. 事実摘示による名誉毀損:公共性・公益目的があり、摘示事実が真実であると証明されるか、または真実と信ずるについて相当な理由があれば、違法性または故意・過失が否定される。 2. 意見ないし論評による名誉毀損:公共性・公益目的があり、前提事実が真実(または真実と信ずるに相当な理由あり)で、かつ人身攻撃等の域を逸脱しない限り、違法性が欠ける(または故意・過失が否定される)。
重要事実
医学者である被上告人が、ジャーナリストである上告人執筆の記事等により、特定の製薬会社の利益を図り加熱製剤の治験を意図的に遅らせ、その対価として寄付金を受領したとする内容を報じられた事案。上告人は、被上告人本人へのインタビュー(「調整した」等の発言)、厚生省関係者への取材、他社製剤との承認時期の比較、多額の寄付金の存在等、広範な取材を行っていた。
あてはめ
1. 事実の真実相当性:被上告人自身がインタビューで「差がつくから調整した」旨述べていたこと、上告人が客観的な治験開始時期や承認時期のデータを把握していたこと、厚生省関係者から寄付の噂や反論なき場面の証言を得ていたことから、上告人が各摘示事実を真実と信じたことには相当な理由がある。 2. 意見の逸脱性:上記事実を前提とした「医師の心を売り渡した」等の表現は、医師としての社会的責任を問う文脈であり、人身攻撃等の意見の域を逸脱したものとはいえない。
結論
上告人には事実を真実と信ずるに相当な理由があり、また意見の表明もその域を逸脱しないため、名誉毀損による不法行為は成立しない。
実務上の射程
ジャーナリストの取材の充足度が「相当な理由」の判断において決定的な役割を果たすことを示す。特に、対象者本人の過去の公的発言や周辺関係者への多角的な取材が認められる場合、真実相当性が認められやすい。意見ないし論評の前提事実についても、事実摘示と同様の真実相当性の枠組みを適用する。
事件番号: 昭和56(オ)25 / 裁判年月日: 昭和58年10月20日 / 結論: 棄却
他人の名誉を毀損する事実を摘示した者は、その重要な部分について真実性を立証することによつて、免責を受けることができる。