入院患者がメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)に感染した後に死亡した場合につき,鑑定書には,担当医師が早期に抗生剤バンコマイシンを投与しなかったことは当時の医療水準にかなうものではないという趣旨の指摘をするものと理解できる記載があることがうかがわれ,医師の意見書は,担当医師が早期に上記抗生剤を投与しなかったことについて当時の医療水準にかなうものであるという趣旨を指摘するものであるか否かが明らかではないなど判示の事情の下において,上記の鑑定書や意見書に基づいて,担当医師が早期に上記抗生剤を投与しなかったことに過失があるとはいえないとした原審の判断には,経験則又は採証法則に反する違法がある。
入院患者がメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)に感染した後に死亡した場合につき担当医師が早期に抗生剤バンコマイシンを投与しなかったことに過失があるとはいえないとした原審の判断に経験則又は採証法則に反する違法があるとされた事例
民法415条,民法709条,民訴法247条
判旨
医療過失の有無を判断する基準となる「医療水準」は、当時の臨床医学の実情(一般的に行われていた慣行)とは区別されるべきであり、慣行が直ちに医療水準にかなうと判断することはできない。鑑定意見等の証拠に基づき、科学的・合理的評価として当時の医療水準に適合していたかを審理すべきである。
問題の所在(論点)
不法行為(民法709条)または債務不履行(民法415条)に基づく損害賠償請求において、医師の過失の基準となる「医療水準」を、当時の臨床医学における「一般的慣行」と同一視してよいか。
規範
医師の注意義務の基準となる医療水準は、臨床医学の実践における医療慣行に従うべきではなく、当時の知見に基づき適正と評価される科学的・合理的基準によるべきである。したがって、特定の治療法が当時の臨床現場で一般的であった(実情であった)という事実のみをもって、直ちにそれが医療水準にかなうものとして過失を否定することはできない。
重要事実
81歳の患者Dは脳梗塞で入院中、第3世代セフェム系抗生剤の投与等を受け、MRSA感染症を発症した。担当医師らは、多種類の抗生剤を長期間投与し、MRSA検出後も有効なバンコマイシンの投与を遅らせるなどした。その後、Dは多臓器不全により死亡した。相続人らが医師の抗生剤使用の過失を主張したのに対し、原審は「当時の臨床医学では同様の投与が一般的であった」等の理由で過失を否定した。
あてはめ
原審は、第3世代セフェム系の投与や多剤併用が「当時の医療現場では一般的であった」とする鑑定意見を根拠に過失を否定した。しかし、当時のマニュアルや他の鑑定意見では、同薬剤がMRSA増殖を招くことや、適正な種類に限定すべきことが指摘されていた。また、MRSA感染症に対してはバンコマイシンが第一選択薬であるとの知見も存在した。そうすると、単に現場の実情(慣行)を確認するだけでは足りず、それが科学的評価に基づき適正といえるかという観点から医療水準を確定すべきであった。
結論
原審が、治療行為が当時の臨床医学において一般的であったという理由だけで直ちに医療水準にかなうと判断し、医師の過失を否定したことは、経験則または採証法則に反し、違法である。原判決を破棄し、差し戻す。
実務上の射程
医療過失における注意義務の基準(医療水準)の定義を示す重要判例。臨床現場の「慣行」と「医療水準」を相対化する際に用いる。答案では、被告側から「当時の一般的治療であった」との抗弁が予想される場面で、原告側の反論として本規範を提示し、医学的知見に基づいた妥当性を検討させる流れが有効である。
事件番号: 昭和57(オ)1127 / 裁判年月日: 昭和63年1月19日 / 結論: 棄却
未熟児網膜症に対する治療法として光凝固法を実施することは、昭和四七年当時においては、臨床小児科医及び臨床眼科医にとつていまだいわゆる臨床医学の実践における医療水準になつていたとはいえない。 (補足意見がある。)