火のついた煙草光一本を複写用紙の薄紙四、五枚に包み、更にこれを同用紙の厚い紙四、五枚に包んだものを、木造建物の壁板の破れ目に挿入して放火したという事実認定において、発火の可能性を肯定した鑑定書の一つは与えられた条件と湿度において一〇パーセント低く、気温において四・五度高い(従つてそれだけ発火の可能性が強い)条件の下に鑑定結果が出されたものであり、他の一つは、それだけで発火の可能性を肯定するにはあまりに消極的なものであるときは、これらを他の証拠と綜合して有罪を認定するのは、審理不尽、理由不備の違法があり破棄を免れない。
刑訴法第四一一条第一号にあたる一事例。−審理不尽、理由不備の違法−
刑訴法411条1号
判旨
科学的証拠に基づく事実認定において、鑑定の前提条件が実際の事実と異なる場合や、証拠能力に欠ける鑑定のみでは合理的な疑いを超える証明がなされたとはいえない。本件では、発火の可能性に関する鑑定に前提条件の相違や消極的な判断があるため、審理不尽・理由不備の違法があるとされた。
問題の所在(論点)
鑑定の前提条件が客観的事実と異なる場合に、当該鑑定を事実認定の証拠とできるか。また、消極的な内容の鑑定のみで特殊な放火手法による発火の事実を認定できるか(審理不尽・理由不備の成否)。
規範
鑑定の結果を証拠として採用するにあたっては、鑑定の前提となった基礎条件が実際の事実関係と整合している必要がある。また、特殊な手法による犯罪事実の認定において、証拠価値に疑義がある鑑定や、可能性が極めて低いとする消極的な鑑定のみに基づいて事実を認定することは、合理的な疑いを超えた証明を要する刑事裁判において許されず、審理不尽または理由不備の違法を構成する。
重要事実
被告人は、火のついた煙草を複写用紙等で包み、社会保険出張所の板壁の隙間に挿入して放火したとして起訴された。この放火手法による発火の可能性について、二つの鑑定(B鑑定・C鑑定)が実施された。B鑑定は発火の可能性を「あり」としたが、その前提となる湿度(70%)や気温(25度)が、気象専門家による実際の測定値(湿度80%・気温20.5度)より燃焼しやすい条件に設定されていた。一方、C鑑定は前提条件に誤りはないものの、発火の可能性については「極めて少ないがあると思われる」という消極的な内容であった。
あてはめ
B鑑定は、鑑定結果に重要な影響を及ぼす湿度(10%の差)及び気温(4.5度の差)につき、与えられた条件とは異なる燃焼容易な条件下で結論を導いており、本件放火手段の特殊性と科学的微妙性に鑑みれば、直ちに証拠とすることはできない。次に、C鑑定は「可能性は極めて少ない」とする消極的なものであり、証拠価値を失ったB鑑定を除外してC鑑定のみで発火の可能性を肯定するには不十分である。したがって、これらの鑑定のみに基づいて有罪とした原判決には、判決に影響を及ぼすべき法令の違反があるといえる。
結論
原判決には審理不尽、理由不備の違法があり、これを破棄しなければ著しく正義に反する。原判決を破棄し、広島高等裁判所に差し戻す。
実務上の射程
科学的証拠の証拠価値を争う際の指針となる。特に「鑑定の前提条件の誤り」を指摘して証拠能力・証明力を否定する論理として有用である。また、複数の鑑定がある場合に、一つの鑑定の瑕疵が全体の証明力にどう影響するかという文脈(相互補完性の否定)でも活用できる。
事件番号: 昭和28(あ)1516 / 裁判年月日: 昭和32年5月31日 / 結論: 破棄差戻
一 自白が任意になされたかどうかについての合理的な疑の存否につき、何れとも決し難いときは、これを被告人の不利益に判断すべきではない。 二 被疑者に対する糧食差入禁止の事実を認め、しかもその糧食差入禁止の期間と自白の時日との関係上、外形的には糧食差入禁止と自白との間に因果の関係を推測させ、少くともその疑ある事実であるにか…