賃貸借契約が、賃料不払のため適法に解除された以上、たとえその後、賃借人の相殺の意思表示により右賃料債務が遡つて消滅しても、解除の効力に影響はなく、このことは、解除の当時、賃借人において自己が反対債権を有する事実を知らなかつたため、相殺の時期を失した場合であつても、異るところはない。
相殺の遡及効が契約解除に及ぼす影響の有無
民法506条,民法541条
判旨
相殺の遡及効は相殺の債権債務それ自体に生じるものであり、相殺の意思表示前になされた契約解除の効力には影響を及ぼさない。
問題の所在(論点)
相殺の意思表示がなされる前に既になされた有効な契約解除の効力が、後の相殺の意思表示による遡及効(民法506条2項)によって影響を受けるか。
規範
民法506条2項が規定する相殺の遡及効は、双方の債務が互いに相殺をなすのに適した時点に遡って相殺の債権債務を消滅させるものである。しかし、この遡及効は当該債権債務それ自体に対して生じるものであって、相殺の意思表示より以前に有効になされた契約解除の効力を覆すものではない。また、自働債権の存在を知らなかった等の事情も、右の理を左右するものではない。
重要事実
上告人は、被上告人に対し債務(受働債権)を有していたが、同時に自働債権も有しており、両者は相殺適状にあった。しかし、上告人が相殺の意思表示をする前に、被上告人は上告人の債務不履行を理由として有効に契約解除の意思表示を行った。その後、上告人は自働債権の存在を知り、遡及効(民法506条2項)を根拠として、相殺によって債務不履行の事実が遡及的に消滅し、先行する解除の効力も失われると主張して争った。
あてはめ
本件では、被上告人による解除権の行使は、相殺の意思表示がなされる前に行われており、その時点で有効に契約関係を終了させている。相殺の遡及効は債権債務を対当額で消滅させるにとどまり、既に発生した解除という法律効果を遡って無効化する力はない。上告人が自働債権の存在を認識しておらず、相殺の時期を失したという事情があるとしても、契約解除の効力が維持されることに変わりはなく、権利の濫用にも当たらない。
結論
相殺の遡及効は先行する契約解除の効力に影響を与えない。したがって、本件契約解除は有効であり、上告人の主張は認められない。
実務上の射程
契約解除と相殺が競合する場面において、解除が先行した場合には、たとえ相殺適状が解除前に存在していても、解除の効力が優先することを明示した。債務不履行に基づく解除を阻止するためには、解除の意思表示が到達する前に相殺を完了させる必要があるという実務上の教訓を与える判例である。
事件番号: 昭和30(オ)530 / 裁判年月日: 昭和32年4月5日 / 結論: 棄却
【結論(判旨の要点)】賃借人が賃貸人に対して有する費用償還請求権等の債権を自働債権とする相殺の意思表示が、賃貸人による賃貸借契約解除の意思表示の後になされた場合、その相殺によって契約解除の効力は妨げられない。 第1 事案の概要:賃借人(上告人)は、本件家屋の修繕費として6,280円を支出したが、賃料の支払を怠った。賃貸…