本人の渡米不在中権限を踰越して土地売却の代理行為をした代理人について、本人の実印を所持していた事実の外、後記(判決理由参照)のような事情もあつたときは、民法第一一〇条の代理権ありと信ずべき正当の理由があるものということができる。
民法第一一〇条の代理権ありと信ずべき正当の理由があるものと認められた事例
民法110条
判旨
民法110条の「正当な理由」の有無は、単なる実印の所持という事実だけでなく、本人と代理人の親族関係、日頃の財産管理権限の付与状況、および契約締結に至る具体的経緯等を総合して判断すべきである。
問題の所在(論点)
民法110条の権限外の表見代理における「正当な理由」の判断枠組み、特に実印の所持や親族関係がどの程度考慮されるか。
規範
民法110条の「正当な理由」とは、相手方が代理権があると信じたことにつき、客観的な諸事情に照らして過失がないことをいう。判断にあたっては、代理人と本人の人的関係、基本代理権の範囲、実印の交付経緯、および当該行為の必要性・合理性等の事情を総合考慮して決する。
重要事実
本人Eは渡米中、親族であるDに対し、実印を預けるとともに小作地の管理、納税、債務支払等の財産管理一切を委託していた。Dは一度実印を紛失したが、Eから新たに書面と実印の送付を受け、改印届を済ませていた。Dは、Eの抵当債務弁済のために土地売却が必要であるとして、Eの代理人と称して被上告人と本件土地売買契約を締結し、代金は実際に債務弁済に充当された。Eの相続人である上告人らは、Dに売却権限はなく、実印所持のみで正当な理由を認めた原審には違法があると主張した。
事件番号: 昭和31(オ)1057 / 裁判年月日: 昭和34年8月18日 / 結論: 棄却
【結論(判旨の要点)】日常家事に関する代理権を基礎として権限外の行為がなされた場合、その相手方が代理権があると信ずるにつき正当な理由があるときは、民法110条が適用または類推適用される。 第1 事案の概要:職業軍人であった夫(上告人)は、昭和19年に南方へ出征する際、妻に対して後事を託し、日常家事に関する代理権を授与し…
あてはめ
Dは単に実印を所持していただけでなく、Eの親族として全般的な財産管理権(基本代理権)を有していた。また、契約に用いられた実印は、不在中のEがDの依頼に基づきわざわざ米国から送付したものであり、Dが正当な手続を経て改印したものであった。さらに、売却の目的がE自身の抵当債務の弁済という合理的理由に基づき、実際に代金が弁済に充てられるという協定もあった。これらの事実に照らせば、相手方がDに売却権限があると信じたことには十分な合理的根拠があり、過失はないといえる。
結論
被上告人がDに売買の代理権があると信じたことについては「正当の理由」が認められ、民法110条が成立する。したがって、本件土地売買契約は本人Eに帰属する。
実務上の射程
実印の所持のみでは「正当な理由」を認めるには足りないが、本判決は、実印の交付経緯や管理状況、本人・代理人間の日常的な信頼関係、取引の必要性といった外形的事実を積み重ねることで過失を否定する手法を示している。答案上は、110条のあてはめにおいて「実印・印鑑証明書・親族関係・基本代理権の幅」を個別具体的に評価する際の模範となる。
事件番号: 昭和38(オ)565 / 裁判年月日: 昭和39年9月18日 / 結論: 棄却
代理権を有する者のなした権限外の行為がその代理権となんら関係のない場合でも、相手方において代理人に権限があると信ずるに足る正当な理由があるときには、民法第一一〇条の適用がある。
事件番号: 昭和36(オ)50 / 裁判年月日: 昭和38年8月8日 / 結論: 棄却
【結論(判旨の要点)】代理人が本人から授与された権限(本件では10万円の保証および抵当権設定等)を超えて、より広範な内容の契約(30万円の根抵当権設定)を締結した場合、相手方が代理権を有すると信ずべき正当な理由があるときは、民法110条の表見代理が成立する。 第1 事案の概要:上告人はDに対し、10万円の範囲での借用債…
事件番号: 昭和36(オ)78 / 裁判年月日: 昭和38年1月22日 / 結論: 棄却
【結論(判旨の要点)】民法110条の表見代理が成立するためには、相手方が代理権があると信じ、かつ信ずるにつき正当の事由があることを具体的に主張する必要があり、単に代理権があると信じていたという事実の主張のみでは足りない。 第1 事案の概要:上告人らは、被上告人B1がB2を代理して消費貸借契約や抵当権設定、代物弁済予約を…
事件番号: 昭和32(オ)723 / 裁判年月日: 昭和34年11月5日 / 結論: 棄却
【結論(判旨の要点)】民法110条の表見代理における「正当な理由」の存否は、代理人の年齢や家族関係、取引相手との距離等の具体的事情を総合考慮して判断される。本件では、80歳の父が子の代理人として振る舞った際、相手方が近隣居住者であっても直ちに過失があるとはいえず、代理権があると信じるに足りる正当な理由が認められた。 第…