夫が陸軍司政官として南方に赴任して不在中、妻が無断で夫を代理し、夫所有の土地建物の売買契約をした場合、たとえ当時妻が夫の実印を保管していた事実があり、また妻および仲介者等が買主に対し、自ら代理権があると告げた事実があつたとしても、それだけでは、未だ買主は、右売買契約の締結につき、妻において夫を代理すべき権限をもつていたと信ずべき正当の理由があつたということはできない。
民法第一一〇条の代理権ありと信ずべき正当の理由にあたらない一事例
民法110条
判旨
夫婦の一方が他方の実印を保管し、自ら代理権がある旨を称していたとしても、それらの事実のみでは民法110条にいう代理権があると信ずべき正当な理由があるとはいえない。
問題の所在(論点)
夫婦間における日常家事債務の代理権(民法761条)を基礎とする表見代理(民法110条)の成否に関連し、妻が夫の実印を保管し自称している等の事実が「正当な理由」を基礎付けるか。
規範
民法110条(権限外の行為の表見代理)が成立するためには、相手方が「代理人の権限があると信ずべき正当な理由」を有していることが必要である。この「正当な理由」の存否は、単に代理人が印章を保管している事実や自称の有無だけでなく、取引の態様や本人の関与状況を総合して客観的に判断されるべきである。
重要事実
被上告人(夫)の妻Dが、夫の南方への出発に際して預けられた実印を保管していた。Dは、夫の遺書に本件宅地建物を売却してもよい旨の記載があると言い、自ら代理権がある旨を称して上告人との間で売買契約を締結した。しかし、実際にはそのような代理権は存在せず、上告人はDに権限があると信じたことに正当な理由があったと主張して表見代理の成立を争った。
事件番号: 昭和33(オ)251 / 裁判年月日: 昭和36年1月17日 / 結論: 棄却
病身の夫が家族との不和と療養の関係からさして遠方でない土地に別居中、妻が無断で夫の印章を偽造し、夫の代理名義で夫所有の土地家屋を代金三一〇万円で売却した場合、交渉の行われた場所が当該の家屋であり、家族の収入は妻名義でなす貸間収入で賄われており、成人した子供達が交渉の際同席する等、一応妻に代理権があると信じさせるような事…
あてはめ
本件において、上告人は、妻Dが夫の実印を保管していたこと、およびD自身や関係者が代理権の存在を明言したことを「正当な理由」の根拠とした。しかし、夫婦間では一方が他方の実印を保管することは日常的にあり得ることであり、また代理権の自称は代理人側の言動に過ぎない。本件の不動産売却という重大な行為について、これらの事実のみをもって相手方が代理権の存在を確信したことを客観的に正当化するには足りないと解される。
結論
妻が夫の実印を保管し、かつ代理権を自称していたとしても、それらの事実だけでは民法110条の「正当な理由」があるとは認められない。
実務上の射程
夫婦間における110条の類推適用(判例法理)の文脈で、不動産処分等の重要な取引において実印の所持や自称だけでは過失なし(正当な理由あり)とは認められにくいことを示す。答案では「正当な理由」のあてはめにおいて、本人の属性や取引の重要性に照らし、より慎重な確認(本人への照会等)が必要であったことを指摘する際の根拠として用いる。
事件番号: 昭和28(オ)361 / 裁判年月日: 昭和31年5月22日 / 結論: 破棄差戻
【結論(判旨の要点)】世帯主として家政を一切管理し、過去にも同種の不動産売却及び登記手続を支障なく行っていた長男による無権代理行為について、相手方が本人に直接確認しなかったとしても、代理権があると信ずべき正当な理由(民法110条)があるといえる。 第1 事案の概要:70歳の老齢である本人(被上告人)と同居する40歳超の…
事件番号: 昭和28(オ)1350 / 裁判年月日: 昭和31年9月18日 / 結論: 棄却
本人の渡米不在中権限を踰越して土地売却の代理行為をした代理人について、本人の実印を所持していた事実の外、後記(判決理由参照)のような事情もあつたときは、民法第一一〇条の代理権ありと信ずべき正当の理由があるものということができる。
事件番号: 昭和36(オ)1283 / 裁判年月日: 昭和39年3月12日 / 結論: 棄却
弁論の全趣旨が何をさすかを具体的に判文に説示する必要はない。
事件番号: 昭和46(オ)88 / 裁判年月日: 昭和48年12月24日 / 結論: 破棄差戻
自称代理人が、金融業者から金融を受け、その債務を担保するため本人所有の農地につき抵当権設定契約及び条件付売買契約を締結するにあたり、本人の実印の押捺された金銭消費貸借並びに抵当権設定証書、農地法三条一項による許可申請書、登記のための委任状及び本人の印鑑証明書を提出したけれども、目的農地の登記済権利証を提出せず、貸主は本…