甲会社の修理担当者乙らが、同会社取締役たる丙から同人名義のゴム印およびもつぱら取締役として使用するため届出であつた印章を預り、丙の不在中これに代り会社のため丙の職務を行うことを認められていても、丙個人に法律効果のおよぶような行為につきこれを代理する権限をかつて与えられたことがないときは、丙に対する関係では民法第一一〇条にいう「代理人」にあたらない。
民法第一一〇条にいう「代理人」にあたらない事例。
民法110条
判旨
民法110条の表見代理が成立するためには、行為者が本人から何らかの代理権を与えられた「代理人」であることを要し、単に印章等を預かり職務を代行する関係にあるだけでは足りない。
問題の所在(論点)
本人の不在中に職務を代行するために印章等を預かっている者が、本人の個人名義で契約を締結した場合、民法110条の「代理人」に該当し、表見代理が成立するか。すなわち、職務代行の事実をもって基本代理権の存在を認められるか。
規範
民法110条(権限外の行為の表見代理)が成立するためには、相手方において行為者が「代理人」であると信ずべき基礎となるべき「基本代理権」が本人から与えられていることを要する。本人の印章やゴム印を預かり、本人の不在中にその職務を代行することが認められているに過ぎない場合、本人個人を代理する権限が与えられていない以上、同条の「代理人」には該当せず、表見代理の成立する余地はない。
重要事実
会社取締役である被上告人は、不在中の職務処理のため、会社の資金・経理担当者(E及びF)に自身の取締役としてのゴム印及び印章を預けていた。Eらは、この印章等を利用して被上告人名義で本件保証契約を締結した。しかし、被上告人はEらに対し、個人としての法律効果を発生させるような代理権を与えたことは一度もなかった。上告銀行側は、以前に被上告人個人名義の当座取引があり、Fがその事務を行っていたこと等を理由に、110条の表見代理が成立すると主張した。
あてはめ
本件において、E及びFは、被上告人が取締役として担当する職務の処理のために印章を預かり、会社のためにその職務を代行することは認められていた。しかし、これは会社組織内における職務の代行に過ぎず、被上告人個人に法律効果を帰属させる代理権(私法上の代理権)が授与された事実は認められない。したがって、Eらは被上告人個人との関係では「代理人」といえる地位になく、基本代理権が存在しない以上、その権限を踰越したという関係も生じ得ない。
結論
Eらは被上告人の代理人ではないため、民法110条の表見代理が成立する余地はなく、被上告人は本件保証契約について責任を負わない。
実務上の射程
基本代理権の存否を厳格に解する判例であり、補助的・事後的な事務処理権限や、単なる道具の預託のみでは110条の適用を認めない。答案上は、本人の帰責性を基礎づける「基本代理権」の有無を検討する際、単なる事実行為の代行や使者的性質にとどまる場合は本判例を引用して表見代理を否定する方向に働く。なお、少数意見は取引保護の観点から広範な適用を説くが、法廷意見は本人保護を優先している。
事件番号: 昭和40(オ)1325 / 裁判年月日: 昭和41年10月11日 / 結論: 棄却
(省略)