家屋の買主が、約定の明渡期限後売主に対ししばしば明渡を求め、かつ、売主が明渡をすればいつでも約定残代金の支払をなし得べき状態にあつたときは、現実に右代金の提供をしなくても、民法第五五七条にいわゆる「契約ノ履行ニ著手」したものと認められる。
民法第五五七条にいわゆる「契約ノ履行ニ著手」したものと認められる一事例
民法557条
判旨
民法557条1項の「履行に着手」とは、客観的に外部から認識し得る形で履行行為の一部をなし、又は履行の提供をするために欠くことのできない前提行為をしたことを指す。買主が売主に対し、明渡期限経過後に再三明渡しを求め、かつ売主が履行すれば直ちに残代金を支払える準備を整えていた場合には、履行の着手があったと認められる。
問題の所在(論点)
買主が代金の現実の提供を行っていないものの、履行の催告を行い、かつ受領と引き換えに代金を支払える準備を整えていた場合、民法557条1項の「履行の着手」に該当し、売主の手付解除権は消滅するか。
規範
「履行に着手する」とは、債務の内容たる本来の給付行為の一部を開始し、または給付の提供に欠くことのできない前提行為をすることをいう。必ずしも現実の提供(弁済の提供)を完了している必要はないが、単なる履行の準備や履行の催告のみでは足りず、客観的に外部から認識し得る形で履行行為の着手が認められることを要する。
重要事実
不動産売買契約において、買主Dは売主(上告人)に対し、約定の明渡期限が経過した後、再三にわたって家屋の明渡しを求めた。これに対し売主は、猶予を求めたり不得要領な答弁を繰り返すなどして明渡しを遅延させた。当時、買主Dは売主が明渡しをすればいつでも残代金を支払える状態を整えていた。売主は、買主からの履行の催告書が到達した後に、手付倍戻しによる契約解除の意思表示を行った。
事件番号: 昭和26(オ)396 / 裁判年月日: 昭和28年9月29日 / 結論: 棄却
【結論(判旨の要点)】売買契約において手付が交付された場合、一方が「履行に着手」するまでは、買主はその手付を放棄し、売主はその倍額を償還して、契約の解除をすることができる。 第1 事案の概要:本件では売買契約において手付金が交付された後、契約の履行を巡って争いが生じた。上告人は、原判決が民法176条(物権の設定及び移転…
あてはめ
本件では、買主Dが単に履行の催告(履行の請求)を行っただけでなく、約定の期限後に繰り返し明渡しを求めている点、および売主が明渡しを行えば直ちに残代金を支払える客観的な準備状態にあった点が重視される。このような状況下での履行の催告は、単なる準備の域を超え、履行提供に欠くことのできない前提行為を外部的に認識し得る形で行ったものといえる。したがって、売主が解除の意思表示をした時点において、買主は既に「履行に着手」していたと解するのが相当である。
結論
買主において履行の着手があったと認められるため、売主による手付倍戻しによる契約解除は認められない。
実務上の射程
手付解除の可否を検討する際、「履行の着手」の有無を判断する重要判例である。現実の提供に至らなくても、催告と支払準備が相まって客観的な着手と評価される場合があることを示している。答案では、単なる催告のみでは不足することに触れつつ、本判決のように「いつでも支払える状態」という具体的状況を拾ってあてはめる必要がある。
事件番号: 昭和39(オ)597 / 裁判年月日: 昭和40年12月14日 / 結論: 棄却
一 特定物の売買契約にあつて、所有権は契約と同時に移転せず、代金完済と同時に移転すると解しなければならないことはない。 二 建物の買主が終始明渡の要求をなし残代金は即時でも支払いうる状態にあつたこと、および右明渡請求の訴が提起されていたことから、買主においてすでに履行の著手があつたと認めたのは相当である。
事件番号: 昭和29(オ)361 / 裁判年月日: 昭和30年12月26日 / 結論: 棄却
賃借人の居住する家屋の売買で、売主が賃借人に家屋の明渡をなさしめた上これを買主に引渡す約定のある場合、買主が、しばしば売主に対し、賃借人に家屋の明渡をなさしめてこれが引渡をなすべきことを督促し、その間常に残代金を用意し、明渡があればいつでもその支払をなし得べき状態にあつた上、売主が、買主とともに賃借人方に赴き売買の事情…
事件番号: 昭和39(オ)694 / 裁判年月日: 昭和41年1月21日 / 結論: 破棄差戻
履行期の約定がある場合であつても、当事者が債務の履行期前には履行に着手しない旨合意している等格別の事情のないかぎり、右履行期前に民法第五五七条第一項にいう履行に着手することができないものではない。
事件番号: 平成1(オ)1004 / 裁判年月日: 平成5年3月16日 / 結論: 破棄自判
土地及び建物の買主が、履行期前において、土地の測量をし、残代金の準備をして口頭の提供をした上で履行の催告をしても、売主が移転先を確保するため履行期が約一年九か月先に定められ、右測量及び催告が履行期までになお相当の期間がある時点でされたなど判示の事実関係の下においては、右測量及び催告は、民法五五七条一項にいう履行の着手に…