一 所得税に関する調査等をする職務を有する収税官吏が、所得税法第六三条により帳簿書類等の検査をするにあたつて、法定の検査章を携帯していなかつたとしても、納税義務者等において右検査章の不携帯を理由として右収税官吏の検査を拒んだような事実のない以上、これに対して暴行又は脅迫を加えたときは公務執行妨害罪を構成する。 二 収税官吏が所得税法第六三条により帳簿書類等の検査をするにあたり、これに対して暴行脅迫を加えてその検査を妨げた場合には、公務執行妨害罪のみが成立し、所得税法第七〇条の別罪を構成するものではない。
一 収税官吏が検査章を携帯せずにした物件検査行為とこれに対する公務執行妨害罪の成否 二 収税官吏に対して暴行脅迫を加えてその職務の執行を妨げた場合の罪責
所得税法63条,所得税法70条9号,同法施行規則63条,刑法95条1項
判旨
収税官吏による物件検査において、検査章を携帯していなかったとしても、相手方がその呈示を求めていない以上、直ちに職務権限を逸脱したものとはいえず、当該検査行為は刑法上の公務執行妨害罪の保護対象となる。
問題の所在(論点)
収税官吏が所得税法(旧法)に基づき物件を検査する際、施行規則に定められた「検査章の携帯」を欠いていた場合、その検査行為は公務執行妨害罪の対象となる「適法な公務」にあたるか。
規範
公務執行妨害罪(刑法95条1項)における職務の執行の「適法性」は、当該公務員の抽象的職務権限、具体的職務権限、および法律が定める有効な執行の手続・方式を遵守しているかによって判断される。所得税法に基づく質問検査権に関し、検査章の携帯・呈示規定は、相手方の危惧を除去し検査の円滑を図るためのものであり、相手方が呈示を求めた場合に呈示しないときは検査を拒む正当な理由となり得るが、検査権限自体は検査章の携帯によって初めて付与されるものではない。したがって、相手方が呈示を求めていない状況下での不携帯は、直ちに職務権限を逸脱させるものではなく、当該公務はなお適法なものとして保護される。
重要事実
収税官吏である大蔵事務官が、所得調査の目的で納税義務者である被告人に面会し、身分及び目的を告げて身分証明書を示した上で、退職者調書の検査(提出)を求めた。これに対し、被告人は検査章の呈示を求めることもなく、当該事務官が検査章を携帯していないことを理由に拒絶したわけでもなかったが、事務官が再三提出を求めたところ、被告人は事務官を階段から突き落とそうとする等の暴行を加え、「帰れ、殴るぞ」と脅迫して検査を妨害した。被告人側は、検査章の不携帯を理由に当該公務は適法な職務執行ではないと主張した。
あてはめ
本件において、大蔵事務官は所得調査という正当な行政目的を有しており、身分及び目的を告げて身分証明書を呈示していることから、抽象的・具体的職務権限を有していた。所得税法施行規則の検査章携帯規定は単なる訓示規定ではないものの、本件被告人は当時、事務官に対して検査章の呈示を求めておらず、不携帯を理由に拒否した事実も認められない。そうであれば、相手方の権利保護という規定の趣旨に照らしても、検査章を偶々携帯していなかったという一事をもって、直ちに職務執行が権限外の不法なものになるということはできない。したがって、事務官の行為は依然として適法な公務の執行であり、これに対してなされた被告人の暴行・脅迫は同罪を構成する。
結論
収税官吏が検査章を携帯していなかったとしても、相手方がその呈示を求めていない等の事情がある以上、その検査行為は公務執行妨害罪にいう職務の執行にあたる。
実務上の射程
行政調査に伴う公務執行妨害の成否において、手続規定の違反が直ちに職務の適法性を否定するか否かの判断基準を示す。手続規定の趣旨(相手方の権利保護等)に照らし、当該手続の欠如が相手方の対応に実質的な影響を及ぼしていない場合には、適法性が維持される傾向にあることを示唆している。実務上は、行政法規の定める手続的要件の重要性と、公務執行妨害罪における「適法性」の緩やかな相関関係を論じる際に参照すべき判例である。
事件番号: 昭和27(あ)2966 / 裁判年月日: 昭和28年10月2日 / 結論: 棄却
刑法第九五条は公務員を特別に保護する規定ではなく、公務員によつて執行される公務を保護するものである。