被告人が昭和二三年一一月一二日同一会社に事務員として勤務中の婦女を殺害した動機は、被告人が同年七月頃より被害者と情交関係を結び、その結果同女は妊娠したので会社における自己の立場に鑑みその処置に苦慮したがためであると認めるにあたり(情交から殺害までの期間四ケ月余)、被害者が妊娠六ケ月に達する男性の胎児を有する旨の鑑定書を証拠として採用しても、右の認定に実験則の違反はない。
鑑定書にもとずく動機の認定が実験則に違反しない一事例
旧刑訴法336条,旧刑訴法337条,旧刑訴法221条1項
判旨
判決書に証拠の適格を欠く不適切な指摘があっても、その記載のうち事実認定の基礎とした部分が合理的な範囲内に留まり、かつ他の証拠と総合して事実を認定し得る場合には、直ちに経験則違反(実刑則違反)とはならない。医学的鑑定の結果が疎漏であっても、証拠の採否や価値判断は裁判所の健全な裁量に属する。
問題の所在(論点)
鑑定書の記載内容(妊娠月数)と認定事実(情交時期)が論理的に矛盾するように見える場合において、当該鑑定書を証拠として引用して事実認定を行うことが、自由心証主義の限界を逸脱し、経験則に違反するか。
規範
事実認定における証拠の価値判断は裁判所の裁量に属する。鑑定書等の証拠の引用・指摘が一部不適切であっても、判決がその証拠の特定の側面(本件では妊娠の有無)のみを認定の基礎とし、他の側面(妊娠月数)を排除していると解される場合、または他の補強証拠によって事実が裏付けられる場合には、論理法則や経験則に反する違法があるとはいえない。
重要事実
被告人が被害者と昭和23年7月頃に情交関係を結び、その結果被害者が妊娠したという事実に基づき、殺人の動機が認定された事案。死体解剖の鑑定書には「妊娠6ヶ月」との記載があったが、被害者の死亡は同年11月12日であり、7月の情交からでは計算が合わない(本来は約4ヶ月)。弁護人は、この鑑定書を証拠として採用しながら「被告人との情交による妊娠」と認定した原判決は、計算上の矛盾から実験則(経験則)に反すると主張した。
事件番号: 昭和27(あ)4113 / 裁判年月日: 昭和28年2月19日 / 結論: 棄却
一 鑑定は、裁判所が裁判上必要な実験則等に関する知識経験の不足を補給する目的で、その指示する事項につき、第三者をして新たに調査をなさしめて、法則そのもの又はこれを適用して得た具体的事実判断等を報告せしめるものである。 二 鑑定人がいわゆる鑑定事項の調査をなすに際して、特別な知識経験を必要とする場合、その知識経験は必ずし…
あてはめ
本件鑑定は裁判官の「妊娠の有無」という問いに答えるためのもので、正確な月数の算出を目的としたものではない。鑑定書は胎児の重量測定を欠くなど月数の算出根拠として疎漏であり、原判決は鑑定書のうち「妊娠の事実」のみを証拠とし、「月数」の部分は認定の基礎としていないと解される。また、被告人の警察官に対する自白調書等、他の証拠を併せれば、被告人と被害者の情交による妊娠事実は十分に認定可能である。したがって、鑑定書の指摘が適格を欠いたとしても、直ちに経験則違反とはならない。
結論
原判決の事実認定に経験則違反の点は認められない。被告人の上告を棄却し、有罪判決を維持する。
実務上の射程
司法試験において、証拠の不一致や矛盾を突いて「経験則違反」を主張する答案を作成する際の反論(裁判所の裁量)として有用である。特に、鑑定の一部のみを採用し、他の不正確な部分を排斥する「証拠の分断的採用」が許容される一例として引用できる。
事件番号: 昭和24(れ)1725 / 裁判年月日: 昭和27年12月25日 / 結論: 破棄差戻
【結論(判旨の要点)】裁判所が証拠調べをしていない証拠を事実認定の基礎とすることは、訴訟手続上の重大な違法であり、その証拠が事実認定に不可欠なものである場合には判決の破棄事由となる。 第1 事案の概要:第一審または控訴審において被告人の殺人の事実を認定する際、裁判所は被告人および関係人Aに対する検察官面前調書を証拠とし…