乳がんの手術に当たり,当時医療水準として確立していた胸筋温存乳房切除術を採用した医師が,未確立であった乳房温存療法を実施している医療機関も少なくなく,相当数の実施例があって,乳房温存療法を実施した医師の間では積極的な評価もされていること,当該患者の乳がんについて乳房温存療法の適応可能性のあること及び当該患者が乳房温存療法の自己への適応の有無,実施可能性について強い関心を有することを知っていたなど判示の事実関係の下においては,当該医師には,当該患者に対し,その乳がんについて乳房温存療法の適応可能性のあること及び乳房温存療法を実施している医療機関の名称や所在をその知る範囲で説明すべき診療契約上の義務がある。
乳がんの手術に当たり当時医療水準として未確立であった乳房温存療法について医師の知る範囲で説明すべき診療契約上の義務があるとされた事例
民法415条
判旨
医師は、実施予定の術式が医療水準として確立している場合でも、未確立だが有力な代替療法が存在し、患者がその適応可能性に強い関心を有していることを知ったときは、知っている範囲でその内容や実施機関を説明すべき義務を負う。
問題の所在(論点)
医療水準として未確立な術式について、医師が「他に選択可能な治療方法」として説明すべき義務を負うか。特に患者が当該術式に強い関心を示している場合の義務の範囲が問題となる。
規範
医師は診療契約に基づき、原則として疾患の診断、実施予定の手術内容、危険性、他に選択可能な治療方法の内容・利害得失・予後等を説明する義務を負う。他療法が医療水準として未確立であっても、①少なからぬ医療機関で実施され相当数の実施例があり、実施医の間で積極的評価がなされており、②患者が適応する可能性があり、かつ③患者が当該療法の自己への適応・実施可能性について強い関心を有していることを医師が知った場合には、医師が消極的評価をしていても、その内容、適応可能性、利害得失、実施医療機関の名称等を説明すべき義務がある。特に乳がん手術のような生活の質(QOL)に直結する術式選択においては、当該説明の要請は一層強まる。
重要事実
上告人は乳がんと診断され、被上告人医師から乳房全切除(胸筋温存乳房切除術)の提案を受けた。当時、乳房温存療法は医療水準として未確立であったが、上告人の症状は適応基準を満たしており、上告人は乳房切除と温存の間で揺れ動く心情を綴った手紙を被上告人に交付した。しかし、被上告人は温存療法の消極的な側面(再発の可能性等)を伝えるにとどめ、上告人が温存療法の適応であることや、実施している他病院の存在を具体的に説明せずに全切除手術を実施した。
あてはめ
本件手術当時、乳房温存療法は相当数の実施例があり専門医の間で積極的評価がなされていた。上告人の乳がんはその適応基準を満たしており(要件②)、上告人が交付した手紙により、乳房を残すことに強い関心を有することを被上告人は認識できた(要件③)。乳がん手術は女性の象徴を失わせる精神的影響が大きく、QOLに深く関わる。それにもかかわらず、被上告人は温存療法の適応可能性や実施機関の名称等を具体的に説明しておらず、患者が熟慮し判断する機会を与えたとはいえない。被上告人自ら実施する義務や転医を勧める義務まではないものの、知っている範囲の情報提供を怠った点において説明義務違反が認められる。
結論
被上告人には診療契約上の説明義務違反が認められるため、請求を棄却した原判決を破棄し、差し戻す。
実務上の射程
インフォームド・コンセントの範囲を、確立された医療水準だけでなく「患者の強い関心」と「術式の有力性」を基準に拡張した重要判例である。答案では、患者の自己決定権やQOLを重視すべき文脈(美容・身体的欠損を伴う手術等)で、この規範を引用して検討するのが効果的である。
事件番号: 平成10(オ)1046 / 裁判年月日: 平成14年9月24日 / 結論: 棄却
患者が末期がんにり患し余命が限られていると診断したが患者本人にはその旨を告知すべきでないと判断した医師及び同患者の担当を引き継いだ医師らが,患者の家族に対して病状等を告知しなかったことは,容易に連絡を取ることができ,かつ,告知に適した患者の家族がいたなどの判示の事情の下においては,診療契約に付随する義務に違反する。 (…
事件番号: 平成10(オ)1081 / 裁判年月日: 平成12年2月29日 / 結論: 棄却
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