一 大手広告代理店に勤務する労働者甲が長時間にわたり残業を行う状態を一年余り継続した後にうつ病にり患し自殺した場合において、甲は、業務を所定の期限までに完了させるべきものとする一般的、包括的な指揮又は命令の下にその遂行に当たっていたため、継続的に長時間にわたる残業を行わざるを得ない状態になっていたものであって、甲の上司は、甲が業務遂行のために徹夜までする状態にあることを認識し、その健康状態が悪化していることに気付いていながら、甲に対して業務を所定の期限内に遂行すべきことを前提に時間の配分につき指導を行ったのみで、その業務の量等を適切に調整するための措置を採らず、その結果、甲は、心身共に疲労困ぱいした状態となり、それが誘因となってうつ病にり患し、うつ状態が深まって衝動的、突発的に自殺するに至ったなど判示の事情の下においては、使用者は、民法七一五条に基づき、甲の死亡による損害を賠償する責任を負う。 二 業務の負担が過重であることを原因として労働者の心身に生じた損害の発生又は拡大に右労働者の性格及びこれに基づく業務遂行の態様等が寄与した場合において、右性格が同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでないときは、右損害につき使用者が賠償すべき額を決定するに当たり、右性格等を、民法七二二条二項の類推適用により右労働者の心因的要因としてしんしゃくすることはできない。
一 長時間にわたる残業を恒常的に伴う業務に従事していた労働者がうつ病にり患し自殺した場合に使用者の民法七一五条に基づく損害賠償責任が肯定された事例 二 業務の負担が過重であることを原因として心身に生じた損害につき労働者がする不法行為に基づく賠償請求において使用者の賠償額を決定するに当たり右労働者の性格及びこれに基づく業務遂行の態様等をしんしゃくすることの可否
民法709条,民法715条,民法722条2項
判旨
使用者は、労働者に従事させる業務の管理に際し、疲労や心理的負荷が過度に蓄積して心身の健康を損なわないよう配慮すべき安全配慮義務を負う。また、損害賠償額の決定において、労働者の性格が同種労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲内であれば、これを心因的要因として過失相殺の規定を類推適用することはできない。
問題の所在(論点)
1. 使用者は、労働者の過重労働による健康被害を防止すべき安全配慮義務を負うか。 2. 労働者の性格や親族の対応を理由として、過失相殺(民法722条2項類推適用)を認めることができるか。
規範
1. 使用者は、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務(安全配慮義務)を負い、指揮監督権を有する者はこの義務に従って権限を行使すべきである。 2. 労働者の性格等の心因的要因を民法722条2項によりしんしゃくできるのは、その性格が同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れる場合に限られる。 3. 親族が労働者の勤務状況を改善する措置を採り得る立場にない限り、親族の不作為を理由とする過失相殺は認められない。
重要事実
広告代理店に勤務する新入社員Fは、配属後、恒常的な深夜残業や徹夜を余儀なくされ、心身共に疲労困ぱいした状態となり、うつ病を発症して自殺した。上司らはFが深夜残業を繰り返し、健康状態が悪化していることを認識しながら、業務量を調整するなどの適切な措置を講じず、かえって業務負担を増加させていた。原審は、使用者の損害賠償責任を認める一方で、Fの真面目な性格(うつ病親和性)や同居する両親が適切な措置を採らなかったことを理由に、民法722条2項を類推適用して3割の減額を行った。
あてはめ
1. Fは一般的・包括的な指揮命令下で長時間残業を余儀なくされており、上司らはその実態と健康悪化を認識していた。それにもかかわらず具体的な業務調整を行わなかった点に、安全配慮義務違反(過失)が認められる。 2. Fの「責任感が強く完璧主義」という性格は、一般社会に見られる性質であり、上司も評価していたものである。これは個性の多様さとして想定範囲内であり、心因的要因として減額の対象にはならない。 3. Fは独立した社会人であり、同居する両親がその勤務状況を改善する措置を採り得る立場にあったとはいえないため、両親の落ち度を考慮することもできない。
結論
1. 被告(使用者)の民法715条に基づく損害賠償責任が認められる。 2. 被害者の性格や遺族の不作為を理由とする賠償額の減額(過失相殺の類推適用)は否定される。原判決の減額部分を破棄し、差し戻す。
実務上の射程
労働者の自殺事案における使用者の安全配慮義務の判断枠組みを示したリーディングケース。答案上は、(1)安全配慮義務の具体的構成、(2)心因的要因による過失相殺の制限(想定範囲内の性格は減額不可)という二段階で活用する。
事件番号: 令和5(受)927 / 裁判年月日: 令和7年3月7日 / 結論: 破棄差戻
都道府県警察所属の警部補が自殺した場合において、次の⑴~⑹など判示の事情の下では、当該都道府県警察を置く都道府県は、上記警部補の上司らが上記警部補の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務に違反したことを理由として国家賠償法1条1項に基づく損害賠償責任を負う。 ⑴ 上記警部補の自殺直前の1か月間における時間外勤務時…