一 刑法第一七五条にいわゆる「猥褻文書」とは、その内容が徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、且つ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する文書をいう。 二 文書が「猥褻文書」に当るかどうかの判断は、当該文書についてなされる事実認定の問題でなく、法解釈の問題である。 三 文書が、「猥褻文書」に当るかどうかは、一般社会において行われている良識、すなわち、社会通念に従つて判断すべきものである。 四 社会通念は、個々人の認識の集合又はその平均値でなく、これを超えた集団意識であり、個々人がこれに反する認識をもつことによつて否定されるものでない。 五 Aの翻訳にかかる、昭和二五年四月二日株式会社小山書店発行の「チヤタレイ夫人の恋人」上、下二巻(ロレンス選集1・2)は、刑法第一七五条にいわゆる猥褻文書に当る。 六 芸術的作品であつても猥褻性を有する場合がある。 七 猥褻性の存否は、当該作品自体によつて客観的に判断すべきものであつて、作者の主観的意図によつて影響されるものではない。 八 刑法第一七五条に規定する猥褻文書販売罪の犯意がありとするためには、当該記載の存在の認識とこれを頒布、販売することの認識があれば足り、かかる記載のある文書が同条所定の猥褻性を具備するかどうかの認識まで必要とするものではない。 九 憲法第二一条の保障する表現の自由といえども絶対無制限のものではなく、公共の福祉に反することは許されない。 一〇 旧出版法第二七条と刑法第一七五条とは特別法と普通法の関係にある。 一一 憲法第二一条第二項によつて事前の検閲が禁止されたことによつて、猥褻文書の頒布、販売を禁止し得なくなつたものではない。 一二 憲法第七六条第三項にいう裁判官が良心に従うとは、裁判官が有形、無形の外部の圧迫ないし誘惑に屈しないで自己の内心の良識と道徳感に従う意味である。 一三 本件第一審判決がその判示のごとき理由で被告人に無罪の言渡をしても控訴裁判所において「右判決は法令の解釈を誤りひいては事実を誤認したものとして」これを破棄し、自ら何ら事実の取調をすることなく、訴訟記録及び第一審裁判所で取り調べた証拠のみによつて、直ちに被告事件について、犯罪事実を認定し有罪の判決をしたからといつて、必ずしも刑訴第四〇〇条但書の許さないところではない。
一 刑法第一七五条にいわゆる「猥褻文書」の意味 二 「猥褻文書」に当るかどうかは事実問題か法律問題か。 三 「猥褻文書」に当るかどうかの判断の基準。 四 社会通念とは何か。 五 刑法第一七五条にいわゆる「猥褻文書」に当る一事例。 六 芸術的作品と猥褻性。 七 猥褻性の存否と作者の主観的意図。 八 刑法第一七五条に規定する猥褻文書販売罪における犯意。 九 憲法第二一条に保障する表現の自由と公共の福祉。 一〇 旧出版法第二七条と刑法第一七五条との関係。 一一 憲法第二一条第二項による検閲の禁止と猥褻文書販売罪。 一二 憲法第七六条第三項にいう裁判官が良心に従うとの意味。 一三 刑訴法第四〇〇条但書に違反しない一事例。
刑法175条,刑法38条1項,憲法21条,憲法21条2項,憲法76条3項,出版法(明治26年法律15号)27条,刑訴法400条
判旨
刑法175条にいう「猥褻の文書」とは、徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう。芸術的価値の高い作品であっても、社会的通念に照らして上記要件を満たす場合には、同条の猥褻文書に該当する。
問題の所在(論点)
文学的・芸術的価値が高いとされる作品において、性に関する大胆な描写が含まれる場合、刑法175条の「猥褻の文書」に該当するか。また、表現の自由(憲法21条)との関係でその処罰は許されるか。
規範
「猥褻の文書」とは、①徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、②普通人の正常な性的羞恥心を害し、③善良な性的道義観念に反するものをいう。その判断基準は、個々人の認識の平均値ではなく、それを超えた集団意識としての「社会通念」による。芸術性と猥褻性は別次元の概念であり、高度な芸術性や思想性、あるいは作者の誠実な意図があるからといって、当然に猥褻性が解消されるものではない。
重要事実
被告人Bは、D・H・ローレンス作の長編小説『チャタレイ夫人の恋人』を被告人Aに翻訳させ、これを出版・頒布した。同書は文学的評価が高く、不自然な婚姻生活から脱却し、肉体的関係を通じて人生の完成を認める人生哲学を提唱するものであった。しかし、その中には12箇所にわたり、大胆かつ詳細で写実的な性行為の描写が含まれていたため、被告人らは刑法175条(猥褻物頒布・販売)の罪に問われた。
あてはめ
本件訳書には12箇所の性的場面があり、これらは春本類とは異なる芸術的特色があるものの、性行為の非公然性の原則に反し、世間の集会で朗読を憚るほど微細・写実的である。これは社会通念上、普通人の羞恥感情を害し(要件②)、性欲を刺激し(要件①)、善良な性的道義観念に反する(要件③)。芸術的作品であっても、法が維持すべき最少限度の道徳である性的秩序を乱す以上、公衆への提供は許されない。また、本罪の犯意は記載の存在と頒布の認識で足り、猥褻性の法的認識までは不要であるため、被告人らには犯意も認められる。
結論
本件訳書は刑法175条の猥褻文書に該当する。表現の自由も公共の福祉(性的秩序の維持)による制限を免れず、被告人らを処罰することは合憲である。
実務上の射程
猥褻概念の三要件(興奮刺激・羞恥心侵害・道義観念違反)を確立したリーディングケースである。芸術性や学術性が猥褻性を直ちに打ち消さないという「二元論」を採用しており、答案上は、作品全体の趣旨を考慮しつつも、具体的な描写部分が社会通念上の限界を超えているかを検討する枠組みとして用いる。
事件番号: 昭和39(あ)305 / 裁判年月日: 昭和44年10月15日 / 結論: 棄却
一 芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはさしつかえない。 二 文書の個々の章句の部分の猥褻性の有無は、文書全体との関連において判断されなければならない。 三 憲法二一条の表現の自由や同法二三条の学問の自由は、絶対無制限なものではなく、公共の福祉の制限の下に立つものである。 四 第…
事件番号: 昭和48(あ)2593 / 裁判年月日: 昭和49年4月18日 / 結論: 棄却
【結論(判旨の要点)】憲法21条1項が保障する表現の自由は絶対無制限ではなく、性生活の秩序や健全な風俗の維持という公共の福祉による制限を受けるため、刑法175条のわいせつ物頒布罪等の規定は合憲である。 第1 事案の概要:被告人が、3人1組の性戯や性交の場面等を、性器の形状や動き、行為者の言動などについて具体的、詳細かつ…