殺人の目的で静脈内に空気を注射したときは、右空気の量が致死量以下であつても、右行為は不能犯とはいえない。
殺人の目的で静脈内に空気を注射する行為と不能犯
刑法203条,刑法199条
判旨
静脈内に注射された空気の量が致死量以下であっても、被注射者の身体的条件その他の事情によっては、死の結果発生の危険が絶対にないとはいえないため、殺人未遂罪における実行の着手を認めることができる。
問題の所在(論点)
殺意をもって静脈内に空気を注入する行為において、注入された空気量が致死量に達しない場合、殺人未遂罪の実行の着手を認めることができるか(不能犯と未遂罪の区別)。
規範
実行の着手(刑法43条)が認められるためには、行為が結果発生の具体的・客観的な危険性を有していることを要する。方法の不適切により結果発生が不可能に見える場合であっても、当該行為時の具体的状況や行為の態様に照らし、死の結果発生の危険性が絶対的に否定されない限り、不能犯とはならず未遂罪が成立する。
重要事実
被告人は、共犯者らと共同して殺害を企て、被害者の静脈内に空気を注射した(空気栓塞による殺害の実行)。被告人側は、人体に空気を注射してもいわゆる空気栓塞による殺人は絶対的に不可能である旨を主張したが、原審は、本件で注入された空気量が一般に言われる致死量以下であったとしても、被注射者の身体的条件やその他の諸事情いかんによっては、死の結果が発生する危険が皆無とはいえないと判断した。
あてはめ
本件における空気注射という方法は、一般的に空気栓塞を引き起こし得る殺害手段である。注入された空気量が致死量以下であったとしても、被害者の当時の身体的条件(健康状態や耐性等)や具体的な注入の態様といった個別的事情を総合すれば、客観的に死の結果をもたらす危険性が全くないとは言い切れない。したがって、当該行為は死の結果発生に向けた具体的危険性を有するものと評価でき、実行の着手が認められる。
結論
致死量以下の空気注入であっても、身体的条件等により死の危険が否定されない以上、殺人未遂罪が成立する。
実務上の射程
不能犯と未遂罪の境界が問題となる事案(特に、方法の不能)において、結果発生の『絶対的不可能』を否定し、具体的危険性を肯定する際の根拠として活用できる。客観的危険性説の立場から、行為時の具体的状況(身体的条件等)を考慮して危険性を判断する実務上の枠組みを示すものである。
事件番号: 昭和57(あ)1807 / 裁判年月日: 昭和58年5月6日 / 結論: 棄却
「未必の殺意をもつて、被害者の身体を、有形力を行使して、被告人方屋上の高さ約〇・八メートルの転落防護壁の手摺り越しに約七・三メートル下方のコンクリート舗装の路上に落下させて路面に激突させた」旨判示し、被害者を屋上から落下させた手段・方法を右以上に具体的に摘示していない場合でも、右判示は、殺人未遂罪の罪となるべき事実中の…
事件番号: 昭和26(あ)199 / 裁判年月日: 昭和27年8月5日 / 結論: 棄却
【結論(判旨の要点)】致死量に相当する毒物を与えて殺害を試みた場合、毒物の純度が低かったために死の結果が発生しなかったとしても、不能犯とはならず殺人未遂罪が成立する。 第1 事案の概要:被告人は被害者らに対し、殺意をもって青酸加里粉末約0.06g乃至0.07gを服用させた。しかし、当該青酸加里の純度が低かったこと、被害…