自動車運転者に速度調節義務を課す根拠となる路面の滑りやすい原因と程度に関する具体的事実として、石灰の粉塵の路面への堆積凝固という事実が、公訴事実中に記載され、その後訴因変更手続を経て撤回されたとしても、被告人の防禦権が侵害されたとは認められない本件においては、右事実を認定することに違法はない。
自動車運転者に注意義務を課す根拠となる具体的事実が訴因変更手続を経て撤回された場合につき右事実を認定することに違法はないとされた事例
刑法211条,刑訴法256条,刑訴法312条
判旨
過失犯において注意義務を基礎付ける具体的事実は訴因としての拘束力を有しないため、一旦訴因変更で撤回された事実であっても、被告人の防御権を不当に侵害しない限り、裁判所が当該事実を認定しても適法である。
問題の所在(論点)
訴因変更により公訴事実から一旦撤回された「注意義務の根拠となる具体的事実」を、裁判所が改めて認定し判決の基礎とすることは、訴因の拘束力や被告人の防御権の観点から許されるか。
規範
過失犯の訴因において、一定の注意義務を課す根拠となる具体的事実は、公訴事実に記載されたとしても訴因としての拘束力(訴因の特定の限度)を認められない。したがって、かかる事実が訴因変更により一旦撤回された場合であっても、被告人の防御権を不当に侵害しない限り、裁判所が当該事実を認定して有罪判決の基礎とすることは許される。
重要事実
被告人は自動車運転中にスリップ事故を起こし、業務上過失致死傷罪で起訴された。当初の訴因は「路面に石灰粉塵が凝固し降雨で溶解していた状況」を注意義務の根拠としたが、検察官は「雨でアスファルトが湿潤していた状況」へ訴因変更し、石灰に関する記載を撤回した。一審は変更後の訴因に基づき、滑りやすさの予見可能性がないとして無罪とした。控訴審で検察官は当初の内容を予備的に追加。原審は、石灰粉塵の存在と被告人の認識を認め、一審を破棄して有罪とした。
あてはめ
本件における「路面に石灰粉塵が堆積凝固していた事実」は、単に「路面が滑りやすい原因と程度」に関するものであり、注意義務を課す根拠となる具体的事実にすぎず、訴因それ自体を構成するものではない。また、原審において当該事実を含む予備的訴因が追加され、その存否や被告人の認識について証拠調べが行われている。そうであれば、被告人の防御の対象は明確になっており、一度撤回された事実を認定したとしても被告人の防御権を不当に侵害するものとはいえない。
結論
被告人の防御権を不当に侵害しない限り、一度撤回された具体的事実を認定することは適法であり、原判決に違法はない。
実務上の射程
過失犯の訴因における「注意義務の内容」と「その根拠となる具体的事実」の区別を示す射程の長い判例である。答案上は、訴因変更の要否(312条1項)や判決との不一致が問題となる場面で、どの範囲までが訴因として拘束力を持つのかを論じる際に、本判例を引用して事実の認定の自由度を説明するのに用いる。
事件番号: 平成12(あ)1242 / 裁判年月日: 平成15年2月20日 / 結論: 棄却
【結論(判旨の要点)】訴因における過失の態様を具体化・補充する程度の認定であれば、訴因変更手続を経る必要はないが、第一審判決に事実誤認がある場合には、訴因変更命令義務の有無にかかわらず当該判決は破棄されるべきである。 第1 事案の概要:被告人が「進路前方を注視せず、進路の安全を確認しなかった」という過失の態様で起訴され…
事件番号: 昭和43(あ)1082 / 裁判年月日: 昭和44年5月28日 / 結論: 棄却
【結論(判旨の要点)】判決に影響を及ぼすべき事実誤認や法令違反がある場合であっても、結論において正当であると認められるときは、原判決を破棄する必要はない。 第1 事案の概要:被告人が信号無視(赤信号での進入)をしたとして起訴された事案。第一審は被告人の信号無視を認定し、有罪とした。原判決(控訴審)は、第一審の認定を支持…