大学附属病院の耳鼻咽喉科に所属し患者の主治医の立場にある医師が,抗がん剤の投与計画の立案を誤り,週1回投与すべき抗がん剤を連日投与するとともに,その副作用に適切に対応することなく患者を死亡させた医療事故において,その症例が極めてまれであり,科長を始めとして同科に所属する医師らに同症例を取り扱った経験がなく,上記抗がん剤による治療も未経験でその毒性,副作用等について十分な知識もなかったなど判示の事実関係の下では,治療方針等の最終的な決定権を有する同科長には,上記抗がん剤による治療の適否とその用法・用量・副作用などについて把握した上で,投与計画案の内容を具体的に検討して誤りがあれば是正すべき注意義務を怠った過失と,主治医らの上記抗がん剤の副作用に関する知識を確かめ,的確に対応できるように事前に指導するとともに,懸念される副作用が発現した場合には直ちに報告するよう具体的に指示すべき注意義務を怠った過失があり,業務上過失致死罪が成立する。
大学附属病院の耳鼻咽喉科に所属し患者の主治医の立場にある医師が抗がん剤の投与計画の立案を誤り抗がん剤を過剰投与するなどして患者を死亡させた医療事故について同科の科長に業務上過失致死罪が成立するとされた事例
刑法(平成13年法律第138号による改正前のもの)211条前段
判旨
大学病院の診療科長は、難病等の困難な症例において、主治医らが誤った投与計画を立案し過剰投与や副作用対応の誤りを招くことを予見し得た場合、具体的内容を調査・検討し、適切に指導・是正すべき業務上の注意義務を負う。
問題の所在(論点)
医療チームを統括する科長において、部下である主治医らが作成した薬剤投与計画の誤りを見逃した点、および副作用発現後の指導・対応を怠った点について、業務上過失致死罪における注意義務違反(過失)が認められるか。
規範
医療チームの責任者(科長等)は、①症例が極めてまれで臨床実績がないこと、②用いる薬剤が強力な毒性を有し誤用による重篤な結果が予見されること、③主治医らの経験や知識が不十分であること等の事情がある場合、主治医らの報告を鵜呑みにせず、自ら文献等を調査して治療計画の適否を具体的に検討・是正し、かつ副作用への対応について事前に指導し、異常時の報告を具体的に指示すべき業務上の注意義務を負う。
事件番号: 平成17(あ)947 / 裁判年月日: 平成20年3月3日 / 結論: 棄却
HIV(ヒト免疫不全ウイルス)に汚染された非加熱血液製剤を投与された患者がエイズ(後天性免疫不全症候群)を発症して死亡した薬害事件について,当時広範に使用されていた非加熱血液製剤中にはHIVに汚染されていたものが相当量含まれており,これを使用した場合,HIVに感染して有効な治療法のないエイズを発症する者が出現し,多数の…
重要事実
B大学病院耳鼻咽喉科科長の被告人は、臨床経験のない難病(滑膜肉腫)の患者に対し、経験の浅い主治医Dらが立案したVAC療法を承認した。Dはプロトコールの単位を誤認し、週1回投与すべき抗がん剤(硫酸ビンクリスチン)を12日間連日投与する計画を立てたが、被告人は具体的内容を確認せず漫然と承認した。投与開始後、患者に重篤な副作用が生じたが、被告人は適切な指導・指示を行わず、過剰投与による多臓器不全で患者を死亡させた。
あてはめ
本件症例は科内でも経験がなく、使用薬剤は過量投与で致死的結果を招く危険があった。また主治医Dは経験4年余りで知識も不十分であったから、被告人には計画の誤りや副作用対応のミスを予見し得た。それにもかかわらず、被告人は容易に可能であった投与計画の詳細確認を怠り、漫然とVAC療法の選択のみを承認して是正しなかった。さらに、副作用の知識を確かめて事前に指導し、異常時の報告を徹底させる等の措置も講じなかった。これらの不作為がなければ、副作用発現の段階で救命可能であったと認められる。
結論
被告人には、誤った投与計画を是正すべき注意義務、および副作用への対応につき事前指導・把握すべき注意義務の違反が認められ、業務上過失致死罪が成立する。
実務上の射程
医療過誤における「信頼の原則」の限界を示す事例。高度な専門性や危険性を伴う医療現場において、上司(指導医・科長等)が部下の専門性や経験不足を認識し得る場合には、部下を全面的に信頼することは許されず、具体的な確認・指導義務が課されることを明確にした。
事件番号: 平成15(あ)1033 / 裁判年月日: 平成19年3月26日 / 結論: 棄却
1 患者の同一性確認について,病院全体の組織的なシステムの構築,医療を担当する医師や看護婦の間での役割分担の取決め,それらの周知徹底等を欠いている場合には,手術に関与する医師,看護婦等の関係者は,他の関係者が上記確認を行っていると信頼し、自らその確認をする必要がないと判断することは許されず,各人の職責や持ち場に応じ,重…
事件番号: 昭和27(あ)3776 / 裁判年月日: 昭和28年12月22日 / 結論: 棄却
一 看護婦が主治医の処方箋によつて、患者に静脈注射をするに際し、注射液の容器に貼付してある標示紙を確認せず、薬品を間違えて注射した過失により、これを死に致したときは、業務上過失致死罪が成立する。 二 被告人は厚生技官であるけれども薬剤師としての技官である。薬剤師が製剤した場合、薬事法所定の標示を為すべき義務があること勿…
事件番号: 平成26(あ)1105 / 裁判年月日: 平成28年5月25日 / 結論: 棄却
ガス抜き配管内で結露水が滞留してメタンガスが漏出したことによって生じた温泉施設の爆発事故について,その建設工事を請け負った建設会社における温泉一次処理施設の設計担当者として,職掌上,同施設の保守管理に関わる設計上の留意事項を施工部門に対して伝達すべき立場にあり,自ら,ガス抜き配管に取り付けられた水抜きバルブの開閉状態に…
事件番号: 令和5(あ)246 / 裁判年月日: 令和7年3月5日 / 結論: 棄却
【結論(判旨の要点)】巨大津波による原発事故について、信頼度が低く行政等にも採用されていない長期評価等の知見は、直ちに運転停止措置を講ずべき具体的な予見可能性を基礎付けるものとは認められない。 第1 事案の概要:東京電力の役員であった被告人らは、地震調査研究推進本部が公表した「長期評価」に基づき、福島第一原発に10m盤…