1 患者の同一性確認について,病院全体の組織的なシステムの構築,医療を担当する医師や看護婦の間での役割分担の取決め,それらの周知徹底等を欠いている場合には,手術に関与する医師,看護婦等の関係者は,他の関係者が上記確認を行っていると信頼し、自らその確認をする必要がないと判断することは許されず,各人の職責や持ち場に応じ,重畳的に,それぞれが責任を持って患者の同一性を確認する義務がある。 2 患者を取り違えて手術をした医療事故において,麻酔を担当した医師には,(1)麻酔導入前に,患者への姓による呼び掛けなど患者の同一性確認として不十分な手立てしか採らず,患者の容ぼうその他の外見的特徴などをも併せて確認しなかった点において,また,(2)麻酔導入後に外見的特徴や検査の所見等から患者の同一性について疑いが生じた際に,他の関係者に対して疑問を提起し,一定程度の確認のための措置は採ったものの,確実な確認措置を採らなかった点において,過失があり,他の関係者が同医師の疑問を真しに受け止めなかったことなどの事情があるとしても,同医師において注意義務を尽くしたということはできない。
1 患者の同一性確認について手術に関与する医療関係者が負う義務 2 患者を取り違えて手術をした医療事故において麻酔を担当した医師につき麻酔導入前に患者の同一性確認の十分な手立てを採らなかった点及び麻酔導入後患者の同一性に関する疑いが生じた際に確実な確認措置を採らなかった点で過失があるとされた事例
(1,2につき)刑法(平成13年法律第138号による改正前のもの)211条前段
判旨
医療行為における患者の同一性確認は、医療関係者の初歩的・基本的な注意義務であり、組織的な確認システムが不十分な状況下では、各医療従事者は他の関係者を信頼するのではなく、各自の職責に応じ重畳的に確認義務を負う。また、麻酔導入後であっても同一性に疑念が生じた場合には、手術の進行を止め、確実な確認措置を講じる義務がある。
問題の所在(論点)
業務上過失致死傷罪における注意義務に関し、高度に分業化された医療現場において、他の医療従事者の確認を信頼すること(信頼の原則)が許されるか。また、疑念が生じた後の再確認義務の程度が問題となる。
規範
医療行為の前提となる患者の同一性確認は、医療関係者の基本的注意義務である。病院内の組織的確認体制が不十分な場合、各関係者は他者が確認していると信頼して自らの確認を免れることは許されず、各自の職責に応じ、重畳的に確認義務を負う(信頼の原則の適用制限)。具体的には、①麻酔導入前に、問診や外見的特徴の確認等により同一性を確認すべきであり、②麻酔導入後であっても、同一性に疑念を抱くべき事情が生じたときは、手術の続行が困難な場合を除き、進行を止めて改めて確認を行う義務がある。
事件番号: 平成16(あ)385 / 裁判年月日: 平成17年11月15日 / 結論: 棄却
大学附属病院の耳鼻咽喉科に所属し患者の主治医の立場にある医師が,抗がん剤の投与計画の立案を誤り,週1回投与すべき抗がん剤を連日投与するとともに,その副作用に適切に対応することなく患者を死亡させた医療事故において,その症例が極めてまれであり,科長を始めとして同科に所属する医師らに同症例を取り扱った経験がなく,上記抗がん剤…
重要事実
横浜市立大学病院にて、心臓手術予定の患者Xと肺手術予定の患者Yが、看護師のミスにより取り違えられたまま各手術室に搬入された。Xの麻酔科医である被告人は、導入前の声掛けに対しYが頷いたため、外見等の確認を怠り麻酔を開始した。導入後、入れ歯の有無、頭髪の差異、経食道心エコー等の検査結果が事前情報と劇的に異なることに気付き、被告人は他の医師らに疑念を伝えたが、執刀医らが真摯に取り合わなかったため、決定的な確認をしないまま麻酔を継続した。その結果、患者両名に誤った手術による傷害を負わせた。
あてはめ
①導入前について、患者が不安や前投薬の影響で誤認する可能性がある以上、単なる氏名の呼びかけだけでなく外見的特徴等の確認を併用すべきであり、これを怠った点に過失がある。②導入後について、被告人はエコー所見等の著しい相違から同一性に疑念を抱いており、他の医師に疑問を呈するなどの努力は認められる。しかし、患者の同一性という根本的事項に相当の根拠ある疑いが生じた以上、他者が真摯に対応しないとしても、なお手術を止めて確実な確認措置を講じるべきであり、不十分な確認で麻酔を継続した点に過失が認められる。
結論
被告人には、麻酔導入前および導入後における患者同一性確認義務の違反(過失)が認められ、業務上過失傷害罪が成立する。
実務上の射程
医療過誤における「信頼の原則」の限界を示した重要判例。組織的過失が背景にある場合でも、個人の具体的注意義務が免除されないことを強調している。特に、予見可能性(疑念)が具体化した段階では、他の専門家による否定的な言動があっても、自らの職責に基づく確認義務が維持される点に射程がある。
事件番号: 昭和33(あ)2117 / 裁判年月日: 昭和34年2月6日 / 結論: 棄却
被害者が自転車に乗つて狭い道路から広い道路に進入するに当り優先順位を守らなかつたため被告人操縦の自動車と衝突したものであつても、被告人に前方注視、徐行等の注意義務を守らない果実がある以上業務上過失傷害罪の成立を妨げない。
事件番号: 昭和22(れ)315 / 裁判年月日: 昭和23年5月6日 / 結論: 棄却
豫て時間表によつて同時刻頃下り第二七一號列車も上り列車と相前後して右踏切を通過することが判つている筈であるから踏切警手としては、かかる場合獨り上り列車のみならず、當然下り列車の通過の有無をもたしかめた上で踏切を遮斷するか否かを決定し、事故の發生を未然に防止すべき業務上の注意義務がある。
事件番号: 平成15(あ)1346 / 裁判年月日: 平成16年10月19日 / 結論: 棄却
甲が,乙の運転態度に文句を言い謝罪させるため,夜明け前の暗い高速道路の第3通行帯上に自車及び乙が運転する自動車を停止させた過失行為は,自車が走り去ってから7,8分後まで乙がその場に乙車を停止させ続けたことなどの乙ら他人の行動等が介在して,乙車に後続車が追突する交通事故が発生した場合であっても,上記行動等が甲の上記過失行…
事件番号: 平成12(あ)1242 / 裁判年月日: 平成15年2月20日 / 結論: 棄却
【結論(判旨の要点)】訴因における過失の態様を具体化・補充する程度の認定であれば、訴因変更手続を経る必要はないが、第一審判決に事実誤認がある場合には、訴因変更命令義務の有無にかかわらず当該判決は破棄されるべきである。 第1 事案の概要:被告人が「進路前方を注視せず、進路の安全を確認しなかった」という過失の態様で起訴され…