HIV(ヒト免疫不全ウイルス)に汚染された非加熱血液製剤を投与された患者がエイズ(後天性免疫不全症候群)を発症して死亡した薬害事件について,当時広範に使用されていた非加熱血液製剤中にはHIVに汚染されていたものが相当量含まれており,これを使用した場合,HIVに感染して有効な治療法のないエイズを発症する者が出現し,多数の者が高度のがい然性をもって死に至ることがほぼ必然的なものとして予測されたなどの判示の状況があった。このような状況の下では,薬務行政上のみならず,刑事法上も,同製剤の製造,使用や安全確保に係る薬務行政を担当する者には,社会生活上,薬品による危害発生の防止の業務に従事する者としての注意義務が生じ,厚生省薬務局生物製剤課長であった被告人は,同省における同製剤に係るエイズ対策に関して中心的な立場にあり,厚生大臣を補佐して薬品による危害防止という薬務行政を一体的に遂行すべき立場にあったから,必要に応じて他の部局等と協議して所要の措置を採ることを促すことを含め,薬務行政上必要かつ十分な対応を図るべき義務があったもので,これを怠って同製剤の販売・投与等を漫然放任した被告人には業務上過失致死罪が成立する。
HIV(ヒト免疫不全ウイルス)に汚染された非加熱血液製剤を投与された患者がエイズ(後天性免疫不全症候群)を発症して死亡した薬害事件について,厚生省薬務局生物製剤課長であった者に業務上過失致死罪の成立が認められた事例
刑法(平成3年法律第31号による改正前のもの)211条前段
判旨
エイズ感染の危険がある非加熱製剤に関し、厚生省の担当課長は、薬事法上の強制的な監督権限を行使し得る重大な危険がある状況下では、製薬会社への販売中止・回収の指導や医師への投与抑制等の措置を講ずべき業務上の注意義務を負い、これを怠った場合は業務上過失致死罪の刑事責任を免れない。
問題の所在(論点)
薬事行政を担う公務員において、法律上の強制的な監督権限(薬事法に基づく回収命令等)の行使が許容される状況下で、任意の行政指導等を含めた危害防止措置を講じなかった不作為に、業務上過失致死罪の刑事上の注意義務違反(過失)が認められるか。
規範
薬害防止の第一次的責任が製薬会社等にあるとしても、(1)製剤に由来する生命への重大な危険(エイズ等)が必然的に予測され、(2)医師や患者側での結果回避が期待できず、(3)行政が明確な方針を示さない限り漫然と販売・使用が継続される具体的危険がある場合には、行政担当者にも危害防止のための業務上の注意義務が生じる。この義務には、法律上の強制措置のみならず、目的達成のため合理的に期待できる任意の行政指導等の措置も含まれる。
事件番号: 昭和27(あ)3776 / 裁判年月日: 昭和28年12月22日 / 結論: 棄却
一 看護婦が主治医の処方箋によつて、患者に静脈注射をするに際し、注射液の容器に貼付してある標示紙を確認せず、薬品を間違えて注射した過失により、これを死に致したときは、業務上過失致死罪が成立する。 二 被告人は厚生技官であるけれども薬剤師としての技官である。薬剤師が製剤した場合、薬事法所定の標示を為すべき義務があること勿…
重要事実
厚生省薬務局生物製剤課長であった被告人は、非加熱第IX因子製剤(クリスマシン)にHIVが混入し、投与によりエイズを発症・死亡する危険を予見できた。当時、加熱製剤等の代替手段の供給が可能であったにもかかわらず、被告人は製薬会社に対し非加熱製剤の販売中止や回収を指導せず、医師への使用抑制措置も講じなかった。その結果、医療機関で非加熱製剤を投与された患者がHIVに感染し、エイズにより死亡した。
あてはめ
本件では、非加熱製剤の使用によるエイズ発症・死亡がほぼ必然的に予測され、患者側での回避は不可能であった。また、国が方針を示さなければ安易な販売・使用が継続される具体的危険があった。被告人は生物製剤課長として、薬務行政上、被害防止のため必要かつ十分な措置を採るべき中心的立場にあり、他の部局と協議して製薬会社に回収等を促すことに重大な支障もなかった。それにもかかわらず、取扱いを製薬会社に任せて漫然と放置したことは、社会生活上、薬品による危害発生防止に従事する者としての注意義務に反する。
結論
被告人には業務上の注意義務違反が認められ、本件被害者の死亡について業務上過失致死罪が成立する。
実務上の射程
行政不作為による刑事責任を肯定した重要判例である。国家賠償法上の違法性(職務上の義務違反)を超えて、刑事責任を問うためには「生命に対する重大かつ回避困難な具体的危険」という厳格な状況設定が必要とされる。答案では、生命・健康という保護法益の重大性と、行政によるコントロールの必要性(専門性・依存性)を強調してあてはめるべきである。
事件番号: 平成16(あ)385 / 裁判年月日: 平成17年11月15日 / 結論: 棄却
大学附属病院の耳鼻咽喉科に所属し患者の主治医の立場にある医師が,抗がん剤の投与計画の立案を誤り,週1回投与すべき抗がん剤を連日投与するとともに,その副作用に適切に対応することなく患者を死亡させた医療事故において,その症例が極めてまれであり,科長を始めとして同科に所属する医師らに同症例を取り扱った経験がなく,上記抗がん剤…
事件番号: 平成10(あ)677 / 裁判年月日: 平成13年2月7日 / 結論: 棄却
県が発注したトンネル型水路部分を含む水路建設工事につき,トンネル内に周辺の河川からあふれ出た水が流れ込むのを防止する目的で構造物が設置され,当該構造物が周辺の河川からあふれ出た水の水圧で決壊することを予見することができたなど判示の事実関係の下においては,当該構造物の管理を担当する県職員は,決壊による危険を回避するため,…