一、賃金にあたる退職金債権放棄の意思表示は、それが労働者の自由な意思に基づくものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときは、有効である。 二、甲会社の被用者で西日本における総責任者の地位にある乙が、退職に際し、賃金にあたる退職金債権を放棄する旨の意思表示をした場合において、乙が退職後ただちに競争会社に就職することが甲に判明しており、また、乙の在職中における経費の使用につき書面上つじつまの合わない点から甲が疑惑をいだいて、その疑惑にかかる損害の一部を填補させる趣旨で退職金債権の放棄を求めた等判示の事情があるときは、右退職金債権放棄の意思表示は、乙の自由な意思に基づくものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在したものとして、有効とすべきである。
一、賃金にあたる退職金債権放棄の効力 二、賃金にあたる退職金債権の放棄が労働者の自由な意思に基づくものとして有効とされた事例
労働基準法11条,労働基準法24条1項,民法91条,民法519条
判旨
労働基準法24条1項の賃金全額払の原則が適用される退職金債権であっても、労働者が自らの意思でこれを放棄することは、その意思表示が労働者の自由な意思に基づくものであることが明確であれば、同原則に反せず有効である。その有効性は、放棄に至る客観的状況や合理的な理由の有無によって厳格に判断される。
問題の所在(論点)
労働基準法24条1項(賃金全額払の原則)にいう「賃金」にあたる退職金債権について、労働者による債権放棄の意思表示は認められるか。認められる場合、その有効性の判断基準はどうあるべきか。
規範
労働基準法24条1項の全額払原則は、使用者が一方的に賃金を控除することを禁止し、労働者の経済生活を保護する趣旨である。したがって、労働者が自ら賃金債権を放棄する旨の意思表示をした場合、同原則はその効力を直ちに否定するものではない。もっとも、同原則の趣旨に鑑み、右放棄の意思表示を有効とするには、それが労働者の「自由な意思に基づくものであることが明確」であることを要する。具体的には、意思表示に至る諸事情に照らし、自由な意思に基づくと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かによって判断すべきである。
事件番号: 昭和63(オ)4 / 裁判年月日: 平成2年11月26日 / 結論: 棄却
一 使用者が労働者の同意を得て労働者の退職金債権に対してする相殺は、右同意が労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときは、労働基準法(昭和六二年法律第九九号による改正前のもの)二四条一項本文に違反しない。 二 甲会社の従業員乙が、銀行等から住宅資金の貸付けを受けるに当…
重要事実
上告人は被上告会社の総責任者であったが、退職に際し、会社に対して一切の請求権を有しない旨の書面(放棄の意思表示)に署名した。上告人は退職直後に競合他社へ就職することが判明しており、また在職中の旅費等経費の使用について不正の疑惑をかけられていた。会社側は、当該疑惑に係る損害補填の趣旨で書面への署名を求め、上告人はこれに応じた。その後、上告人が就業規則に基づく退職金約408万円を請求したため、放棄の有効性が争点となった。
あてはめ
上告人は、西日本地区の総責任者という高い地位にあり、かつ競合他社への転職が予定されていた。また、上告人による経費使用の疑惑に関し、会社が損害補填を求めたという背景がある。これらの事情に照らせば、上告人が退職金債権を放棄したことには客観的に合理的な理由が存在したといえる。したがって、本件放棄の意思表示は上告人の「自由な意思に基づくものであることが明確」であると認められ、全額払原則の趣旨に反することはない。
結論
本件退職金債権の放棄は有効である。したがって、上告人の退職金請求は認められず、上告を棄却する。
実務上の射程
賃金全額払原則は強行法規であるが、例外的に合意による相殺や債権放棄が認められる余地を示した。司法試験答案では、単なる「合意」や「放棄」の事実だけでなく、労働者の属性(役職等)、放棄の動機、代償措置の有無などの事実を拾い、「自由な意思に基づくことが明確であるか」という規範にあてはめる必要がある。実務上も、放棄の有効性は極めて厳格に解釈される傾向にある。
事件番号: 昭和40(オ)527 / 裁判年月日: 昭和43年3月12日 / 結論: 棄却
一、国家公務員等退職手当法に基づいて支給される一般の退職手当は、労働基準法第一一条所定の賃金に該当し、その支払については、性質の許すかぎり、同法第二四条第一項本文の規定が適用または準用される。 二、右退職手当の支給前に、退職者またはその予定者が退職手当の受給権を他に譲渡した場合において、譲受人が直接国または公社に対して…
事件番号: 昭和56(オ)1173 / 裁判年月日: 昭和58年7月15日 / 結論: 棄却
就業規則たる退職金支給規定の一方的変更が、従業員に対し変更実施日以降の就労期間は退職金算定の基礎勤続年数に算入されなくなるという不利益を課するものであるにもかかわらず、その代償となる労働条件が何ら提供されず、また、右不利益を是認させるような特別の事情もないときは、右変更は合理的なものということができず、従業員に対し効力…